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  偏見ご免のたわごと編:  No.267
言うこととやることは違う_それを自覚しているか否か  2023.11.16
  言うは易く行うは難しという格言がある。格好つけて耳に心地よい言葉を言っても言った本人がその言葉通りにものごとを成し生きているとは限らない、というか言葉通りの人間は稀だということである。その意味するところは、ものごとを安易に捉えているかやる能力が不足しているあるいはその責任を取る勇気がないあるいは自分のことは棚上げしている人間が多いということである。つまりほとんどの人間は万全ではないからである。そうであってもこうあるべきということを考えてはいるから言うことは言えるわけである。

そこで私が思い出すのは長妻氏である。そのむかしのことである。民主党が政権を取って厚生大臣になった。なる前の野党のときは年金についてよいと思われることを言い募っていたが、言っていたことを満足に出来なかった。退任のときは職員からの見送りもなかった低評価だったわけである。長妻氏は言うは易く行うは難しいことを身をもって知ったのではないか。長妻氏は野党として言いたいことを言っていたときは行うことの難しさを知らなかったが、そのとき与党自民党は行うことの難しさを知っていてその難しさをどう乗り越えるかも含めてもの言いをしていたのではないか。それを長妻氏は理解していなかった。理想的なよいことは言おうと思えば言えるが行うことは難しいことがあるのが現実である。言えば成るのではなく、相当の努力や工夫をする知恵を持って言うか否かが問題だという認識が不足していたわけである。私はそういう印象を持って経緯を見ていたような記憶がある。

なぜこういうはなしを書いてみようと思ったかと言えば、妻の知人が和歌を教えるその母親について、詠んだり教えたりする歌から想像する人柄と実際は大きく異なる。そんなに立派な人間ではない。言うことだけなら何でも言えると実際の生き方との乖離を批判的に見ていたというはなしである。言ってることより実際の生き方の方が本当の姿でありよくあって欲しいものだということのようだった。また妻が空港カウンターで有名詩人がごねているのを見て作品が評価されているからと言って人柄が優れているとは限らないのを見たようだと言っていた。阿川佐和子氏のエッセイなどによれば、家族内でのはなしかも知れないが、阿川弘之氏も作品の立派さと振る舞いが結びつかないこともあるという印象を受けたのを思い出したりした。

私などはやる自信がないとなかなか強くものを言わない性格なのだが、それが自分の人生でよい結果をもたらしたか考えてみるとあまりよくはなかった気がする。チャレンジするより引っ込み思案で失敗を避ける方に働いた感がある。本当は言うは易く行うは難しであることを知りつつ、言ったりやったりすることが出来たならよかったという気がしている。言うは易く行うは難しを自分のこととして自覚しながらも自分を鼓舞しながら頑張っているならば、ひとにそれは通じて欲しいし通じることはあると思われる。自覚していないひとは別にして、自覚しているひとでもただ常時そう頑張れずときに気を許してあるいは気が緩んでしまうことは往々にあるのではないかと思われる。


補足: 財務副大臣が税金滞納・差し押さえ_これはまず過ぎ
神田憲次財務副大臣に所管する税務に関して税金滞納、差し押さえ4回の不祥事があったことが判明し、納税義務を言っている人間が滞納・差し押さえとはいかがなものか、言うこととやることが違うと批判されていたが辞任に追い込まれた。神田氏はもともと金に汚いと評判の人間だと前から言われていたなどのはなしも出て来ていて確信犯的滞納だったようである。


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