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10月7日のハマスのイスラエル攻撃に端を発した戦争に関連したはなしだが、10月12日付のあるネット記事に、キッシンジャー元米国務長官がいまイスラエルに対するハマスの行動を支持している多くの人々をヨーロッパ諸国が受け入れたのは間違いだったと述べたとあった。その記事の中で私が強く印象に残ったのは「文化的、宗教的にまったく異なる人々をこれほど多く受け入れたのは重大な過ちだ。」という言葉である。日本も昨今労働力不足を背景に移民のはなしをよく耳にするようになったのでキッシンジャー氏の言葉に加えて、私が移民についてどう考えているか以下に整理してみた。
国際移民の正式な法的定義はまだないようであるが、多くの専門家の見解としては、「国際移民とは、その理由や法的地位に関わらず、通常の居住国を変更する人である」という点で一致しているそうである。数ヶ月の短期で一時的でも長期で永住的でも通常の居住国を変更する人であれば国際移民ということのようである。国連の1997年のある報告書では「通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12か月間当該国に居住する人のこと(長期の移民)」として取り扱っていてそう定義した場合は、長期留学生、仕事での長期赴任者、長期旅行者も移民ということになるようである。
移民とはということについて考え方はいろいろあるようなのだが、こうだという定義は定まっていないようである。私としては移民という言葉については、外国人が日本国籍を取得し日本に居住しているひとという意味として理解している。外国籍を持って日本に短期あるいは長期に関わらず居住しているひと達は移民ではなくそのひと達なりの目的で日本に居住しているのであって、日本国籍のひと達とは異なりなりその権利は制限される。外国人について労働者であるなしにかかわらず、日本国籍を取得したひと達・移民と日本に居住している外国籍を有するひと達は区別して論じるべきものであると私は思っている。以下、そう理解している私の意見である。
移民という言葉を聞くとき、難民とその他は分けて考える必要がある。難民の場合はひとを選ばず困ったひとを助けるために受け入れるのだが、その実際は逃げて来たひと達の老若男女、素行の良し悪しを問わず受け入れることになる。受け入れた後に問題が発生する可能性があることは覚悟して受け入れなければならない。政府はその覚悟のあり様を国民にリスクへの対処法も含めよく説明し理解させた上で決断する必要がある。そうであれば失敗があってもそれなりの反省を踏まえ先に進める余裕が持てる。
移民でない外国人居住者についても、難民とその他は分けて考える必要がある。難民の場合は、移民とは異なるからその権利は制限されるが、ひとを選ばず受け入れるとなれば移民の難民同様それなりの覚悟で受け入れることが必要である。移民でなく難民でもない外国人居住者については、いわゆる外国人としてそれなりに個々の事情に応じて受け入れていくことになる。総じて日本としては受け入れる覚悟はいるのだが、彼らも違った国に暮らすにあたってのそれなりの覚悟を持ってもらわなければならないことは当たり前のことだと思われる。また難民あるいは亡命者として認定されたひと達以外の不法入国者や不法滞在者は原則送還されることは当然で不法入国あるいは滞在の外国人はそれを覚悟しているはずであると私は思っている。
・私の考えでは、移民か否かで見ると、
・・移民になった外国人とは: 日本国籍取得し日本に居住している外国からの移住者(「難民で日本国籍を取得した移住者」と「その他の日本国籍を取得した移住者」)
・・移民でない外国人とは: 外国籍のまま日本に居住している外国人(「難民として外国籍のまま日本に居住している外国人」と「その他外国籍で日本に居住している外国人」)
・そして難民か否かで見た場合には、
・・難民とは: 「日本国籍取得し日本に居住している外国からの移住者」と「難民として外国籍のまま日本に居住している外国人」)
・・日本に居住の外国人とは: 「その他の日本国籍を取得した移住者」と「その他外国籍で日本に居住している外国人」
そしてまた短期あるいは長期の見方も必要かも知れない。移民か否か、難民か否か、長期化か短期か、それぞれの組み合わせについて分けて対応されるべきあるいはそうなされているのではないかと思っている。そのとき日本を害するどこかの国のスパイあるいはどこかの国からのインベーダーでないかの識別対応も外国人が多くなればなるほど重要になって来ると思われる。私が思うに、日本人としてはそれぞれのケースでどういう心得あるいは覚悟が必要かは異なって来ると思うのだが、外国人受け入れ社会の実際がどうなるのか先行きが想像できず気になっている。
補足: フェイクニュース_かの国好きへの対処はかの国並みに
政府は敵性的外国におもねる人物には、その敵性的国家が自国内で他国におもねり自国を貶める人物を拘束し裁判し刑罰を与えるやり方をわが国内でも適用する方針である。わが国が自由なことをいいことに彼らがおもねる敵性的国家では許されないようなことをやりたい放題の矛盾したうさん臭い人物に国家を乱されないようにするのが狙いである。彼らの称揚するかの国家では当然の措置である。
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