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卒業したある学校の同期生会の役員のひとから会は前年度限りで解散したとの手紙が来た。ほとんどが80歳を過ぎ高齢になって来たので解散することになったようである。今後は卒業生全体をまとめている同窓会一本になるようである。
私は同期の人間については100人程度は名を知っているが その中で物故者名簿に載っているひとが27人だった。男性の80歳に於ける死亡率すなわちその歳までに亡くなっている率は約40%だから、私の知っているひとだけの集団では約30%近辺だから母集団が偏っているような気がする。そして私がその集団の一員なのでそれなりに喜んでもよいのかなという気になっている。少しは長生き傾向にあるなら嬉しいわけである。
私は亡くなったひとの中でよくはなしをしたりしていまも印象が強く残っているひとが8人いた。そのうちでも音楽レコードを聴く趣味の道を開いてくれたひと、弱音を吐いたときからかいながら励ましてくれたひと、転身にともに悩んだひと、卒研を一緒にやったひとの顔はいまでも鮮明に浮かんでくる。また、いま年末挨拶状を出す同期生は10人になっているが、同じクラスだったひと8人、1人は短期間だったが初めての就職先が同じだったひと1人、他のひと達より実社会経験があり傾聴すべきはなしをしてくれた数年年長だったひと1人である。
私は当時先行きに不安を持っていて不真面目な思いを隠しながらの学生生活だったから落第あるいは退学にならないかとびくびくしていたのだが何とか卒業出来た。卒業後は私のことを気にかけているひとはいないと思われるのだが、当時の自分の鬱屈した思いや不安をやり過ごして来たころの思い出はそれなりに懐かしい。自分が彼らに大した印象は残していないにしても、亡くなったひと達やいま年末挨拶状を出しているひと達と自分の青春の一時期をともに過ごした日々はその日々に自分が思い感じていたことと分け難く忘れられないのである。
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