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  日誌編 (with photo) ・ 偏見ご免のたわごと編  
  たわごと編: No.79  
  2011.11.28 今までと違うと感じた今年の喪中はがき  
 
  11月は新年の挨拶は遠慮するという喪中通知のはがきが来る時期である。ここ数年そのはがきの来る枚数がが多くなって来ている。大体は友知人の実のあるいは義理の父母が亡くなってのことである。そういうはがきの中に昨年は一緒に仕事をしたことのある何歳か年上の人が亡くなったというのがあった。その報に接しても私の年代の人ではあるがまだ突発的な感じがして死が巡ってくるかも知れない年代に自分がなったという切実感はなかった。

ところが今年は私が卒業研究でペアを組んだ同期生ともう一人卒業後私と同じ業界の他社に就職した同期生が亡くなったとのはがきである。同じ釜の飯を食った仲だが卒業式の日以来会ったこともなくただ年賀状のやり取りをずっとしてきたのだが、この二人が亡くなったというはがきは自分もそういう年代に入ってきたのだということを強く感じさせるものだった。今年は他にもそういう気持ちにさせるはがきが二つあった。一つはむかし住んでいた家の近所の人で息子の同級生の父親が亡くなった。私と同年齢の人である。もうひとつは私の同期生の兄上が亡くなったというものである。私より数歳年上だが同年代の範疇に入る。それもその思いを強くさせるものだった。

私は今まで誰かの死を知ったときとか死につながる話題に接したときとか体調不良のときなどに自分の死を考え怖がったりあとどれくらい生きられるものかと考えたりしてきた。そしていずれ自分にもそのときが来るということを意識しつつ過ごしてはいるのだが、年を感じるということと死について恐れを抱くこととを結びつけては考えてきていなかったように思う。年をとれば老化する。これは生活の質の問題でなるべく老化の進展が遅いほうがよい。それについては気の持ち方と生活習慣が課題だと思って60歳ころからはそれなりに注意してきた。老化すると病気にかかりやすいだろうから死に関係がないとは言えないが、年をとれば老化は当然、しかし死につながっているという感覚は薄かった。93歳で亡くなった父のようなそれなり高齢で亡くなった人を見ても自分の死とかけ離れた出来事のように感じていた。

私はあるころから口では年をとったと言いつつも内心はまだまだまだそれなりに若いと思っていた。そしてむかしからそしてそのあるころから今まで私が恐れを感じてきたのは若くして死ぬこととその原因だった気がする。母は58歳で亡くなった。自分がその年で亡くなることを考えると怖かった。母と同じ血液型の私は母と同じ病気で同じ年の頃死ぬかも知れないと恐れたものである。7年くらい前に同期生が虚血性心不全で急死したときは心臓が気になった。高校生の頃中学の同級生が二人病死したが、そのときも不意に病気になるのではと怖かった。働くようになってからは若い同僚ががんや脳出血で亡くなった。その度ごとに若くして死ぬことに恐れを感じてきた。そして働いている間は生活習慣についての気配りは疎かにしていたが、病気については40歳ころから一年一年の安心を求めて毎年人間ドックを受診してきた。

ところが今年の喪中はがきは今までと違って老化と死が一体不離の年代になったことを意識させるものだった。老化し病を得て死ぬという経過をたどる可能性が一番高くなったということかと思う。そして老化の進展を遅らせるしか対策はないとなれば気の持ち方と生活習慣を良く保つことがますます大事になってきたということである。その努力はしているつもりである。しかしながら過去の気の持ち方と生活習慣の因果が報いることなきにしもあらずである。身体のチェックも疎かにできない。となれば見かけは何も今までと変わらない生活を続けるということになる。しかし心構えは以前と違ってさらに覚悟のある生活になってくるはずである。


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屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
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