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  偏見ご免のたわごと編:  No.219
普通やらないことをするひと_そのひとを称賛するひと  2023.04.20
  ちょっと危ういひとに関することである。例えば高層ビルの間にロープを渡し安全装備を付けず綱渡りをするようなひとのことである。失敗して転落すれば死ぬわけである。成功すればやんやと喝采される。失敗して死んでもその勇気を讃えられる。そして歴史に名を残したりするが、そのひとの死はやったそのひと限りの問題で他のひとには死は自分のものではないから、やって死んでもあいつは死んじゃったの逸話で終わるわけである。

普通の人間の個人的分野ではチャレンジ精神が称賛されたりする。自分の命が懸かっていて失敗したらやり直しもきかない。常識的・合理的に考えればそういう馬鹿な真似はしない。でも不合理なことに頓着せずやりたいことはやれると認識してチャレンジする人間はいるし、それを見て喜んだりその勇気や技量を称賛したりする人間もいるわけである。私はそういうことをやるような人間と、それを見て称賛するような人間の性向は同根で自分の中でチャレンジ精神を満たしたいというひとだという気がしている。

そういう自己完結のひととは異なる外見からは分かりにくいちょっと危ういひとのことの方が私は気になっている。それをやって失敗したら死んでしまうわけでもなく自分の達成感で満足するわけでもない。そのひとの邪悪な行為の見かけに扇動されて称賛するひとたちが出て自分の存在感と影響力を知らしめたいひとである。自分の命を懸けず他のひとにもその責任を担わせるタイプである。そしてそのひとの独りよがりの正義が社会とか国家あるいは国民に迷惑を及ぼすこともある。こういう正義面して普通はやらないことをするひとは始末に悪い。やる方もそれを称賛する方も、命を懸けた勇気とはかけ離れてその邪悪性に惹かれる性向として同根ではないかという気がするのである。

そしてまたいま私が気になっているのは、最近話題の国会で立憲民主党の小西議員が高市大臣が放送法の解釈を曲げたのではないかとの行政文書を示しての告発である。私にはいまのところ、小西議員は自分の命を懸けず他のひとにも自分の行為の責任を担わせるタイプの人間に見えている。かつて偽メール事件というのがあって、告発した永田議員は偽メールということが分かって辞職しその後に自殺した。あとから見れば永田議員は偽メールを本物と信じ告発に命を懸けていたと見ることも出来るわけである。国会議員あるいは政治家は国家・国民のために命を懸けてその職責を果たそうとするひと達だと信じて見ていてよいのだろうか。今回の国家公務員法違反で流出した疑いのある行政文書をもとに、果たして小西議員は命を懸けて告発をしているのだろうかと、私は状況の進展を見ている。

いまの印象では、ただ政治をよく知らないひと達がメディアやSNSや報道で何度も名が出ているのを見て、何となく何かやってくれそうだと信じて選挙で投票してくれるのを狙って、国会やその他の場を利用し正義漢のイメージを振りまくパフォーマンスをしているようにしか見えない。真面目に政治を見ようとしているひとはそのやり方に嫌悪感を抱くのではないか。真面目かどうか分からないが私も嫌悪感を抱いているのだが、まだどっちの危ういひとなのかあるいはそうでないのか分からないでいる。他のひとにも自分の行為の責任を担わせるような言動をするならそれなりの覚悟を示してくれないと嫌悪感は消えない。


補足: 米TIME誌_広島サミットを前に米の本音を書いたか
2023.05.12
岸田首相の写真が米TIME誌の表紙になり、そこに「岸田首相が平和主義だった日本を軍事大国に変える」と見出しが出ているそうである。内部のインタビュー記事を見ればそんなことは言っていないし、事実そうではなったから外務省が抗議したら、電子版の見出しは「平和主義だった日本に、国際舞台でより積極的な役割を与えようとしている」になったということである。アメリカのメディアにも事実ではなく自分たちがそう思いたいことを書くところがあるようである。


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