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  偏見ご免のたわごと編:  No.197
まず解散を求める違和感_野党などの根本認識 2023.01.26
  通常国会が始まって1月25日には施政方針演説に対する代表質問が始まったが、野党側の質問で解散を求めるのが耳に付いた。翌日のテレビでもそれを受けてか解散の賛否を街頭で問う場面が放送されていた。

野党第一党の党首が、施政方針演説に中身がないとか説明不足とか批判して、防衛増税を行うならば解散総選挙で国民の信を問えと要求したが、簡単に首相にいなされてしまった。この質疑を見ていて私は違和感を持った。野党は中身や説明の具体的内容をはっきりさせることよりも、国民の信を問うことが先決だと言っているような印象を受けたからである。

いまの国会議員は先の選挙で選ばれている。国民はその時点での状況や先行きの状況を見ながらこれからの任期について誰に政治を託すかということで選んだはずである。それが建前で選挙は行われているわけである。政府が施策を示したらそれに対し政党は質疑などで明瞭でない点、不備な点あるいは間違いなどを指摘しはっきりさせたり止めさせたりする活動をしなければならない。それは国民への中身の説明の一環でもある。

それを全うせずまず解散を求めるということに私は違和感があるのである。突発事態や災害が起こってもその対応の仕方について前回の選挙でそれを提示し説明して国民の信を問うていないから国民がどう思っているか分からない。だから質疑をするよりもまず国民の信を問うのが先決だというのでは手遅れになる。野党の活動方針がそのようでは心もとないわけである。

国民は建前上、任期いっぱいは選んだ議員に国政を付託したのである。国民は情勢を見て予想したあるいは予想もしていない施策であっても必要が生じたら論議し、より良い結論をもたらすことを期待して議員に国政を付託しているわけである。メディアあるいはジャーナリズムでもそれを忘れて野党のパフォーマンスに乗っかり何かと言うと解散だとか辞任だとかそういうことを論じることが政治報道だと勘違いしている輩もいて、そういうのを見ると嫌な感じである。


補足: 
野党の言う国民_自分の考えの責任転嫁先
2023.01.27
よく野党が国民が納得しないと言うが、言っているそのひとがそう思っていると言うことである。野党を選んだひとは政府・与党を選んだひとより比較的少数である。だから自分たち野党も比較的少数なわけである。でも自分達の意見が比較的大多数だからと見せかけるために国民という抽象的全数イメージを持ち出して、比較的少数の自分たちの意見を大多数的イメージの国民がそう思っているかの如く言うのである。自分たちの意見を自分たちの意見として言うのではなく、抽象的表現の国民が言うことだと国民に意見を言う責任を転嫁して自分たちの意見を言っているわけである。ずるいのである。国民を持ち出さずそれは自分たちの意見だと言って、野党を選んだひとや政府・与党を選んだひとに自分たちが納得しないということを納得させればよいのである。その自信がないから国民を持ち出して自分たちの陰を薄めようとするわけである。
ジャーナリストにも住民が反対しているとか納得しないなどと住民に責任を転嫁しながら自分の思っているだけかも知れないことを言うひとがいるが、言うことに自信がなく煽って反応を探っているのでないなら、自分がそう思うのだと言って読者の判断を待てばよいわけである。
(追: 妻曰く、子どもがみんなが持っているからとかみんながやっているからとか言ってものを買ってとか何々をさせてとか言うのと同じみたいだということである。みんなとはクラスで2~3人だったりするわけである。)


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