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  偏見ご免のたわごと編:  No.021
新知事就任_投票に行かない私が公報を見て選んだひと 2020.07.28
  鹿児島県知事の選挙が7月12日に行われた。私はもう今後の社会のあり方を決めるのは自分より若い人たちでよいのではという気になっているので投票には行かなかった。しかし配布された選挙公報を読んで自分ならこのひとに投票したいと思うひとを選んでいた。そしてそのひとが当選した。

私が選んだのは公報記述の内容から受けた印象によるのだが、まず政治家は世界の中の日本の在り方についてしっかりとした見解を持ちそしてその日本の中での県の在り方を踏まえた上で県をどう発展させ維持して行くかと考えているような印象を持ったのがその理由である。

私は政治家あるいはその選挙に出馬するひと達は、いまの日本の置かれている状況をどう考え将来どう国を発展維持して行こうとしているかを明確にした上で、いろいろな問題を論議して欲しいと思っている。特に国会議員については気になるのだが、どこの国の人間かといぶかしく思わせる態度やこれで日本はどうなるのかと思わせるような論議ばかりではやきもきしてしまうのである。

根本的価値観とか、中国や韓国に対する現実的認識とか北朝鮮への対応とか、こう考える。そしてその上に立って自分たちの主張はこうだと言って論議してもらいたいわけである。自分たちの認識に基づき行動すれば日本の将来の姿はどうなるのかについて、国民にはっきりわかるようにして欲しいわけである。与党の一部や野党のかなりひと達そしていわゆる反日メディアあるいは知識人みたいなひと達にはそれが欠けているので不安でやきもきするわけである。

知事にもそういうことが言える。知事になって地元の問題を解決したいという思いは分かるが、自分の信念に対しゼロか百かという解はなく異なる意見も考慮して少しづつでも問題が解決されるようにしていくしかないことは多い。世界の中で日本がどう情勢判断し生き抜くかという問題と、日本の中で地元がどう情勢判断し生き抜いていくかという問題はリンクしている。日本の中の地元の問題を考えることは世界の中の日本の問題を考えることと似た感覚が必要である。だから私は目に見える地元の課題ワンイッシューのひとは知事あるいは政治家になって欲しくないと思っているわけである。

もうだれが知事になろうと将来の社会に自分が生きているわけではない。私はそう思う年になっている。だから将来社会に生きる自分より若い人たちが将来を選択すればよい。そう思って私は選挙に行かないのだが、それでも自分の考えは持っているから、結果は気になるわけである。そして私の公報から得た印象が当たっているのかいないのか気になっている。また私と同じ見方のひとが多くて当選したのかどうかも気になっている。


補足: 
就任記者会見ライブを見て
県民の声をよく聞いてというのが強調されていた印象である。記者の個々の問題に関する質問にそつなく答えるとそういうことになるのだが、どのような価値観に基づいてリーダーシップをとるのかということははっきり感じられなかった。記者側にそういう観点から知事の資質を確認しようという質問が少なかったからかも知れない。


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