司馬遼太郎が無人島に一冊の本を持っていくとしたら「歎異抄」だと言ったとかいうはなしを見たか聞いたかして、以前から歎異抄に関心はあった。本屋で何冊も紹介・解説する本を眺めて来たが、どれが適当かよくわからない。最近ネットで本を探しているときに「歎異抄をひらく(高森顕徹著・1万年堂出版)」という本が出ていて、同名のアニメ映画の原作だと書いてあった。私はアニメの存在も知らなかったからアニメも見たことはないのだが、映画化されるには解説に偏りがなく理解しやすいなどそれなりの理由があるのだろうと思って購入してみた。
歎異抄というのは親鸞聖人の教え・言葉と異なることが説かれているのを嘆いて、蓮如上人が親鸞聖人の大事な言葉のいくつかを記したものでそれを歎異抄と名付けると本人が書いている。その名の意味はそういうことかと、題名と親鸞聖人しか知らない私はそれを読んでなるほどと思った次第。そういう中身も知らない私だが、無人島に一冊の本を持っていくとしたら歎異抄と言われる訳は以前から知りたいとは思っていた。しかし読んでみても私にはそんな気持ちが湧き上がって来なかった。その方面の知識・学識はないし、外見あるべからずと言うところの門外漢の私にはそれを感じる素地がないのかも知れない。
そういう私の読んだ感じ、その受け取り方の正否は分からないが次のような点が親鸞聖人の言葉の眼目かなという感じである。盲人が象を触ってもの言うに似た印象かも知れない。
・すべての衆生は煩悩にまみれた悪人
・自力・煩悩で善行するいわゆる善人も悪人
・阿弥陀如来はすべての衆生を救うと誓いを立てた(請願・本願)
・疑いなくその本願を信じる衆生は弥陀の浄土に往く身になる(信心)
・そうなって念仏を称えようと思い立つ心の起こる
・そして生まれ生きている幸福を知る(摂取不捨の利益)
これらはキリスト教か何か知らないが、いままでに似たことを聞いたことがある感じがする。
・人間すべて罪びと
・悔い改めよ
・すべて神さまの思し召し
・信ずるものは救われる
・神のお恵みに感謝せよ
私はこういう教えの由来やその意味に関する知識・学識はなく、それらの言葉を見聞きして感覚的にこういうことかと思ったこと記憶しているだけである。そういう私の受け取り方ではあるが、高齢になった私はいつのころからかそれらの言葉に似た心境になっている。なにごとも自分の思い通りにはならない、しかしそういうものだとして自分の人生に納得できれば幸せにいまを暮らすことが出来る。誰でも年をとるとそんな感じでいるかとは思うが、どこかで聞きかじったいろんな言葉みたいなことを上記に倣って挙げるとこんなものかと思われる。
・優しく誠実に努めて生きよ
・しかし人生なるようにしかならない
・それで良いのだと生きれば良いのだ
・そして生まれ生きていることに感謝せよ
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