屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.05  屋久島(5):田舎に移ってくること (H12.07.07)

最近集落のボランティア活動に参加する機会があった。初めての集会で参加者それぞれどんな経験能力かまだ判然としないうちから取り仕切るような全体の進め方を教科書に書いて有るような資料まで出して押し付けてくる人がでた。首都圏でそれなりに仕事をしてきた人にはそんなことはわかっている。会社でのようにあいつらはこの程度だからひとつかましておこうというようなやり方はボランティア活動には不適切である。それは殆どの謙遜しつつ参画している人や分からなくても話をしつつ考えていこうとしていた人の口を封じる。参加者の発言領域を制限し自分の思う方向にもっていこうという意思がみえみえである。これは田舎に来た首都圏でそれなりの仕事をしていた自信家に有りがちなことである。

ところで田舎暮らしをしようという人はどういう人なのか。自分がここでなければ出来ないことをやりたいからとか本当に自分の望む生活環境はここだといって来る人は別として私の見るところ以下のようである。

田舎暮らし選択の理由をはっきりそうであると言う言わないにかかわらず大体が都市部の生活や会社生活に落第して来ているのである。
都会の喧騒な環境に耐えられないと言う人、会社生活の重圧に耐えられなかったと言う人はそうだとすぐ理解できる。会社でそれなりにやっていた人でも例えば部長で退職した人は役員に落第したのである。転職してきた人は特殊な事情のある人を除き都市部の会社で先が見えた即ち落第したのである。その心を癒すために田舎暮らしを意識的無意識的に選んだのだ。
来る人はそのことを自覚して変な優越感を持たずに来て欲しい。落第してもまだ都市部で頑張っている人、地元で頑張ってきた人のほうが偉いのである。以上落第生の一人である私が言う。

私の課題。今私は世に言われる仏のような性質を身につけたいと思いつつ生活している。それは心広いやさしい人になること、いばらず誰にでも平等に接する人になること、観察力の鋭い人になることである。みそは三番目に有ると思う。何事もお見通しだが外観上は人を威圧することも無くやさしい人になりたい。まだキッとなったりいらついたりして妻に口だけと言われている。しかしそうなることが田舎暮らしでは大切だと思っている。


 
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