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昨年ネット記事で見て印象に残った言葉に「能力の低いものは自分が能力が低いのに気づく能力も低い」というのがある。はじめタイトルを見て私は日本が悩まされているどこかの国の大統領二人を皮肉って言っているのかと思ったのだが、これは出来る部下と出来ない部下に関するはなしだった。どこかの実証実験では能力の低い人ほど自分の能力を著しく過大評価しており自信たっぷり、逆に能力の特に高い人は自分の能力を過小評価する傾向があり謙虚で不安が強いことが分かったということである。
以下、たいした程度ではない私が自分を棚に上げての感想である。私はこの言葉からその記事の趣旨を踏まえるよりは、まず連想したのはどこかの大統領二人であり、日本人ではいまもその言動で目立つ鳩山由紀夫や菅直人元総理や河野洋平元官房長官のことである。鳩山由紀夫氏は軽薄発言で沖縄問題を拗らせたりしたが反省もなくいまも韓国や中国などに行ったりしてはかの国にへつらうような言動を繰り返している。菅直人氏は原発事故時自分を過大評価しての振る舞いは有名だが、いまだ偉そうな発言を繰り返している。河野洋平氏も慰安婦問題の対応を間違え日本を苦境に立たせた一因を作ったのに、いまだ自分は正しいことをやったと思っているらしく韓国寄りの発言をしたりしている。
そしてのような大物でないが、連想するのは常日頃私が嫌な奴だなという印象を持っている人物で、例えば大臣もやった弁護士で議員の福島瑞穂氏その他、左がかった政治家や知識人などには特に多い感じなのだが、その言動を見ているとよっぽど自分を過大評価しているのではないかと思えてくる。私から見ればうさん臭い感じなのだが、自分の思いが全く正しいと思い込んでいる、すなわち自分の認識や分析や判断の能力を過大に評価して自分が間違っているかも知れないと考えることもない印象がある。政治家あるいはメディアに隠れているいないにかかわらないが知識人など、総じてそういう人物は世界情勢や周辺情勢をありのままに見れば現実的判断が出来るだろうに、偏った考え方や見方に自信を持ちすぎの感がある。
普通の一般的人間は能力の低い人ほど自分の能力を著しく過大評価し、逆に能力の特に高い人は自分の能力を過小評価する傾向があるのだろうが、私が上記のような人物を連想してしまったとなれば、その言うところの能力とは何ぞやという疑問が生ずる。なぜ私が上記の人物を連想してしまったのか考えるに、それは自分を超える能力を持つ優れた人物が世の中にはいくらでもいると他人を畏れる思いとそこから醸し出される謙虚さを備えていないと、私には能力が高いというようには思えないということのようである。
むかしから何とかバカという言葉があるが、何ごとかに優れてはいるが自分に欠陥があることには気づかないバカはいて、それが周囲に迷惑をかけているのだが本人はそれに気づかないでいるからそういう言葉があるのではないかと思われる。どこかの実証実験で言う能力の意味するところは限定的なのかも知れないが、人間としての具有する能力全てが総合されてその人の能力として表に現れるとすれば、いわゆる程度の悪いひとは別にして大抵の日本人はむかしから能力の低い人ほど自分の能力を著しく過大評価したり、逆に能力の特に高い人は自分の能力を過小評価する傾向があると知っていたのではないかと思われる。また、実るほど頭を垂れる稲穂かなという言葉も同じようなことのように思える。
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