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「家族という病(下重暁子・幻冬舎新書)」を読んでの感想である。まずがっかりしたのは家族というものがもたらす病みたいな家族の問題点について分析し解説しているのではないかという期待が裏切られたことである。私の読んでの印象では、著者の生い立ちの影響で自分が選んだ生き方がいわゆる普通のひとのようではなく理性で生きる生き方だったのだが、その生き方を押し通す言い訳のような感じが強くした。
その感情的で独断的攻撃的姿勢がバラエティ番組の賑わし役として位置づけられている感のある田嶋陽子氏をあるTVで見たとき、母親との確執が自分の性格に影響しているというようなことを言っていた。そしてそれが分かっていながら自分の特異性を一般化し認めさせようとしてその言動が感情的で独断的攻撃的になっているみたいだというのが私の受けた印象だった。それと真反対なように「家族という病」の著者は感情的で独断的攻撃的ではなく理性的という仮面のもとに自分の生い立ちがもたらした自分の生き方を一般化あるいは正当化しようとしているように感じられた。
理性的に生きるということに私は異議はないが、仕事を選ぶために子どもを持つことを捨てたというような記述があって、局所的な記述だが私はそこに著者が自己中心的で優しさに欠ける人間ではないかという疑問を持った。著者にはつれあいがいて家計は独立採算制で子どもは作らないということでやってきたようである。それが著者の理性的生き方の一面だそうである。仕事の喜びとセックスという快楽は楽しむが子どもはつくらないということに私は自己中心的な側面を感じたわけである。
私は自分が生まれて来てよかったと思うならば子どもはつくるべきだと思っている。病気やつくろうと思っても出来ないひとはいたしかたないが、ひととして生まれてよかったならば子どもはつくるべきである。全人類みな著者のように理性的に生きて子どもをつくらなければ人類は滅亡である。そういう観点から見れば著者の理性的生き方は全く個人的なもので一般化出来るものではないわけである。それが私の著者が自己中心的な自分の生き方を正当化するために「家族という病」という本を出したと感じた理由である。
本にはその他の記述があるが自分の主張を正当化するための肉付けで内容の本質ではないというのが私の見方である。そもそも理性的生き方をもたらしたのは生い立ちにあると言うが、そういう生い立ちだという思い込みはひとの心を察する力が欠けていた自分がもたらしたかも知れないわけである。私は著者の人となりなどについて知らないから記述を読んだだけの印象だが、有名文化人らしいひとが自分の生き方を正当化するために理屈をこねている中身の薄い本というのが私の読後感である。
補足: 男と女の役割_効用面から自然に決まって来たのでは
2023.03.05
今日見たテレビ番組の「何でも言って委員会NP」でフェミニズム本のはなしが取り上げられていた。私は女性のフェミニズム論者に見られる何でも男が悪いと言う主張にいつも違和感を感じている。
男女の役割は歴史的にそれがそのときそうするのが人類あるいは男女双方にとって生きて行くのに便利だったから決まって来たものと思っている。そして時代が進みその時代にこうであれば便利ということになってその役割分担は変化して来たし変化しつつあると思われる。変化の切っ掛けは例えばそれで不具合を感じる側、例えば女性側の改善要求などによって、そうあるのが便利であると認識されるようになったあるいなるときだという気がする。
だからフェミニズム論者は不都合を感じたらどんどん問題提起して、男女の役割分担の改善を主張すればよい。それで世の中の認識が変化し男女の役割が徐々に変化しいずれそれが歴史になる、つまり定着するわけである。
ところで、いまの状況を男が悪いからだと言ってその原因を男の認識あるいは意識に求めるフェミニズム論者、特に女性論者に多い印象だが、自分たちが男と女としての幸せを感じる生活を経験していないからかも知れない気がしている。男と女の仲になってそこでの生活の中で男女としてどういう役割をして幸せな生活を得られたかの経験をしてから論じて欲しいと思っている。
フェミニズム論者の、それも結婚しないあるいは出来ない女性の書いた男が悪いというフェミニズム本は男女の幸せな生活を知らない女性の妄想のような気がして読む気がしない。自分が結婚しないあるいは出来ないことの言い訳しているだけかも知れない気がするからである。
男女の役割は時代の流れ、歴史の中でそのときの必要性あるいは利便性によって時間をかけて決まって来たし今後もそうして変わっていくものと思われる。
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