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  日誌編  ・ 偏見ご免のたわごと編  
  たわごと編: No.239  
  2014.08.18 歴史を未来に繋げる  
 
  終戦(敗戦)記念日を前に、知り合いから町の図書室に寄贈用に送られてきた本の中に「おどろきの中国(講談社現代新書2013.10.02刊)橋爪大三郎・大澤真幸・宮台真司」というのがあった。その本の中に、日中の歴史問題がなぜ何度も再燃するのか。それは事実を解釈する仕方にあるのではないかというようなところがあった。謝罪したり責任をとったりするには、大前提として「こういう意図のもとに行った。しかしこういう結果になった。」という認識が不可欠だが、そうした認識が日本側に不足している。日中戦争が何であるかを意味づける考え方がないからどう責任をとったらよいか分からない。中国にしてみればこれほどのことをしたのは、日本によほどの意図があったはずだということだが、日本の方からするとその肝心な部分が空虚なので応答のしようがないということのようである。

その何ごとかをするにあたってその意味を明確に認識出来るかどうかというはなしに私が似通った印象を持ったことに戦後レジュームからの脱却というのがある。安倍首相はいっとき戦後レジュームからの脱却という語を発して海外からも警戒感を持たれ一部の国ではまだ警戒を解いていないようである。ひとによっていろいろにとれるような語を発してその意を汲み取らせようとする曖昧さもその一因のように思える。「これらが日本におけるこれこれの阻害要因になっているから、これこれをそれぞれこのようにしていく」と具体的に説明しないからであると思われる。そして靖国公式参拝もしたわけである。

そしてこれが東京裁判がもたらした戦後の秩序に異を唱え過去の戦争責任を回避しようと意図してのことだという見方をされてしまうわけである。この本では戦争の歴史問題への謝罪に際して、単に日本が謝罪するという曖昧さを避け謝罪の内容を規定すべきと述べている。それには東京裁判の虚構図式の踏襲が合理的であり、「A級戦犯が指揮した作戦行為や戦闘行為は悪かったし、それらの行為が悪かったことを政府や国民は理解しているし、A級戦犯を自力で取り除けられなかったことを悔やんでいる」と言えばよいのだと言っている。戦後処理の最終目的は未来志向的な信頼醸成だと思い定め、政府間賠償で手打ちが終わったからそれ以上のことは出来ないとか、年長世代の謝罪は間違っていたというような言い方は最終目的を台無しにするものだから止めるべきである。そして後続世代は東京裁判図式の持つ意味をよく理解し、かつ未来志向的な信頼醸成が最終的に得になることをわきまえた上で、東京裁判図式は嫌だなどと蒸し返さないことが大切である、と述べている。

また、他者を自分と同じ独立した人格として認め、他者を手段として扱ってはならない(カントの格律・自明の命題)のだが、過去に日本軍や日本人が中国に対して取った態度はそれに反する。日本は戦前の中国を侵略した世代と、現在の世代のあいだの連続性を設定することに失敗した。だから過去について謝れない。謝れないのに謝れと言われるから何回でも形だけ謝る。でも内心では謝っている実感が無い。だから失言も出てくる。歴史は過去との連帯責任の感覚なのだから、過去にある行為をした人々や集団と現在の自分たちとのつながりに一体感を持って歴史を学び、日本人が過去にとった態度の原因をはっきりさせ取り除く必要があるとも述べている。歴史教育も課題のようである。

(以下日本の中国への進出の意図などについての記述を本の中から紹介)
・近代日本の中国への進出の意図は。日本は悪意の中国侵略者だったのか、それとも善意で欧米の勢力を追い払う解放者だったのか。実は日本人自身がよくわからない。その点を突き詰めず中途半端な意識でのこのこと中国に入り込み好き勝手に振る舞って大きな損害を与えた。中国からすればこんないい加減な日本の態度がまず許せない。
・いちばん許せないのは日本人が歴史を忘れること。日本の侵略(すなわちむかし助けてやった隣人がいきなり裏切って攻めてきた)のは、あまり付き合いのなかった遠くの異人(例えばイギリス)が攻めてきたというのと違って、中国人の精神にとってどれほどのネガティブなインパクトを与えたのかを日中関係の基本として押さえておく必要がある。
・日清戦争(1898)と日露戦争(1905)は、ほぼ同じ原因で起きている。ロシアの極東進出を、日本は脅威に感じ、朝鮮半島を保全しようと思った。この二つの戦争はおおむね列強の同意のもとに戦われている(建前上は、日本も完全な独立国家として自己主張しているわけだが、実際は列強たちの掌の上にいた)。でも日清戦争のあとで遼東半島をもぎ取ろうとした日本はやり過ぎだとして露独仏の三国干渉が起こった。日露戦争では日本が予想外の勝利を収めたので、日本の勝ちすぎを警戒する列強の意を背景にアメリカが仲裁に入り日本に有利にならないような講和条約・ポーツマス条約を結ばせた。日本はロシアとの再戦を不可避と考えた。
・日本の外交は最初から列強とのせめぎ合いだった(日米和親条約、日米修好通商条約の不平等条約など)。ロシアに勝利したあと不平等条約が解消され、その次にどんな国家目標を定め、どういうアジア政策を進めるかということになるのだが、ここから軍と政府の足並みの乱れて行った。軍はロシア・ソ連(1917~)との再戦を覚悟している。そこで中国かどうか曖昧な場所だった満州(東北三省)を日本の勢力下に置こうと企んだ。
・満州事変(1931)では日本は国際社会のルールに違反した。中国は列強によって植民地化されていたが、それは必ず戦争し講和条約を結ぶとか借款を供与してその見返りとかで中国に権益を認められるという手続きを踏んでいる。(事変:戦争の手続きによらないで軍が勝手にできるちょっとした軍事作戦)
・アメリカの基本政策は、日本に対しては「日本の独立を保全する」だが、中国に対しては「門戸開放」であった。そこでアメリカを排除するような満州国建国のやり方はアメリカの政策に抵触する。これが日米戦争の遠因になっている。
・満州建国はロシア・ソ連対策であったが、満州でロシア・ソ連と戦争になったときに背後から中国に攻められないように華北を非武装地帯にしたい。陸軍は軍事行動やむなしとの考えに傾いていたところに盧溝橋事件が発生し、それが拡大して日華事変になった。
・日華事変・日中戦争(1937)は奇妙な戦争である。中国はそもそも日本の仮想敵国ではなかった。陸軍はソ連を仮想敵国と考えていた。軍事行動の目的は中国の好意的中立を確保することにあった。これは本来外交交渉によるべきで日本が譲歩するのが基本なのに中国を侵略し続けた。
・ソ連との戦いに備え中国を自分たちの脅威にならない程度に抑えこんでおこうということだったのに、やっているうちに激しい撃ち合いになってしまった。中国は戦いをエスカレートさせる挑発作戦をとったようである。そして世界の同情が中国に集まり、日本は孤立。侵略者のレッテルを貼られ国力は疲弊しアメリカからも最後通牒をつきつけられ、ソ連と戦争するはずだったのにアメリカと戦争しなければならなくなった。

(尖閣諸島や北朝鮮・靖国などに関する記述も紹介)
・もともと尖閣諸島をめぐっては、田中・周恩来協定(日中共同声明)あるいは大平・鄧小平協定(鄧小平声明)では、「主権棚上げ」、「実効支配(施政権)は日本」、「資源の共同開発」が三本柱。そして日中漁業協定が結ばれた。暗黙のルールは、実効支配領域に中国漁船が入って来たら停船要求ではなく退去要求をだす。従わなければ停船させ捕まえるが逮捕・起訴ではなく拿捕・強制送還とする。外務省は知っていたのだが、それが民主党政権に受け継がれなかった。ビデオを見れば海上保安庁は退去ではなく停船要求をした。そのあと前原国交大臣が拿捕・強制送還ではなく、逮捕・送検した。中国との協定を二重に破った。あまりにもバカげた外交の失敗。回避できるような不利益を中国との関係で被らないように、政治家は協定やその運用の歴史について官僚並みに通暁していることが不可欠である。
・小泉政権以降、短期の政局的な右往左往(国益を脇において、政権が持たないなどと言ってなすべきことから逃げるなど)によって、中長期の戦略がスポイルされるようになった。日本に責任がある。
・相手(中国そしてアメリカ)を理解する努力を日本はすべき。人間として高まるという意味でしっかりと理解すべき。例えば歴史問題。歴史についていろいろ言われると日本人は言い訳しようと考える。そうではなくメッセージとして受け取らなければならない。中国が歴史問題についてごちゃごちゃ言うのは「歴史問題さえ片付けば、一緒にやりたいことがいろいろある」と言っているのだ。言い訳してもよいが問題は言い訳の先にあるのに日本はそれを分かっていないというのが中国の思いである。東京裁判をその前提として成り立っている中国としては、A級戦犯と公式参拝の組み合わせが問題で、一般国民の参拝に文句は言っていない。


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