屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.163 靖国参拝のこと(2) H16.12.06)

APECやASEANでの日中首脳会談で小泉首相は胡錦涛国家主席および温家宝首相に日中間にある政治的障害は靖国参拝問題であると直言されてしまった。中国はこの問題では引かないと面と向かって言われたわけである。私としては靖国参拝問題について当面は総理大臣をはじめとする政府要人は靖国神社の参拝は控えてほしいのだが、小泉首相も意を曲げず中国もその非難を取り下げず問題が解消する手だてはないか、と気に懸かるところである。

つたない私の考えだが、現時点では政府要人の靖国参拝は控えるような動きを見せる。やり方としては、一足飛びに行かないと思わせて段階を工夫して時間を稼ぐのがよい。あとはA級戦犯とされた人たちの分祀に反対している東條家と宮司がそれぞれの政治的判断で自主的に動く(いつにここに懸かっている)。政府が時間を稼いでいるその間に、政府の知らぬうちに英霊の真の望み(あとでこれについては述べる)に沿うように、分祀してしまうのである。

そうなれば、小泉首相は中国の非難に屈したことにならないし、政府要人のいわゆる靖国神社参拝問題は自然解消する。これまでの何年かをかけて中国が問題にするのはただ一点、A級戦犯合祀問題につきることだと煮詰まった。この段階で一挙に日中間の障害が消えてしまうことになる。そのあとは中国が何か過去を穿り返して変な言いがかりをつけて来る余地は少ない。勿論政府や政治家が逆手を取られない冷静な戦略を持って中国と渡り合えばという条件はあるが。

さて、英霊の真の望みのことである。日本のために犠牲となった大多数の人々は、残る家族ひいては国民の生活安全に思いを残してやむなく犠牲になった。彼らは自分たちの遺族・子孫の生活安全が脅かされる事態に陥ることを望まない。多分それが大多数の戦没者の真の思いである。ここはひとつ今生きている一部の人間の気持ちとは別に、日本のために犠牲になった人々の思いはどこにあるかを考えて見るのがよい。戦争指導者もその真の思いを理解していたはずである。東條家および宮司、思案のしどころである。

補足1: 私が本問題関連事項について思っていること

1)私は、靖国神社はもともと政治的に作られた慰霊施設だと理解している。文化遺産的神社とは異なる。宮司は施設管理人みたいなもので政教分離の権利を振り回して欲しくない。しかし、現実たまたま宗教法人ということになっているから政治介入が難しい。

2)中国は日中国交回復に際し、日中戦争の責任は戦争指導者(A級戦犯といわれる人たち)にあり、一般の日本国民は犠牲者であるということで国内をまとめた。それは日本政府も承知のことである。とすれば、中国としてはその建前を踏みにじられては黙っていられないのは当然、のように私には思える。

3)A級戦犯といわれる人たちが戦勝国によって裁かれたのはおかしいとか、死んでしまった者に罪は問うことはないとかいう見方に私も日本人として共感するところがある。しかし、日本はそれを受け入れて今があるのが世界歴史である。日本人としてはその主張を続けながら、世界の見方が変わるのを待つしかないように私には思える。

4)国の犠牲になった人々に追悼の誠をささげるために、最高指導者の総理大臣が参拝すべきである。誰でもそれだけについて賛否を問われれば反対できない正論である。しかし、今すべきかどうかは疑問である。正論にはコストベネフィットの視点が大体は抜けているものである。今後過ちを繰り返さないと誓うために国家国民の現在および将来に変なツケを回すことがないようにして欲しい。私は小泉首相あるいは政府には冷静な戦略を持った上手い役者になってもらいたいと思っている。


以上の本文ならびに1)〜4)は靖国参拝の理由が本当に小泉首相が言うとおり「国の犠牲になった人々に追悼の誠をささげるため」であるという前提でのはなしである。別の見方もある。小泉首相あるいは政府は、日本をいわゆる普通の国にするために危機を煽り国民意識を憲法改定賛成に持っていくのが狙いでわざと周辺国を刺激していると見る向きもある。

補足2: 安倍首相が靖国参拝
2013.12.26
安倍首相が靖国参拝をしたそうである。中韓との冷えた関係がさらに冷えそうな気配である。参拝したらどういう反応があってそれをどういうやり方で無傷で切り抜けるかについての見通しがないのなら軽率であると思わざるをえない。

参拝への首相の思いと国益のバランスから言えば参拝すべきではないように思える。本心から靖国参拝の信念を持つ政治家もあるいは遺族や遺族会の靖国参拝の意を受けて票欲しさに靖国参拝を言い募る政治家も、戦争を再びしない誓のもと英霊に誠を捧げる参拝だと言いながら、将来の戦争を招いているかも知れないのである。

A級戦犯の分祀は東條前首相の遺族が反対で頓挫したという情報もある。また遺族会は選挙に際して政治家に靖国参拝の踏み絵を踏ませているというはなしもある。それぞれの戦争を再びしないという誓いを英霊に伝えたい気持ちは理解できても、そのゴリ押しが将来の戦争を招くかもしれないとなれば、分祀や政治家・首相の参拝辞退を求めることこそ、今の時点では祖国を思い家族を思って亡くなっていった英霊の平和への願いに報いることになるのではないか。遺族あるいは遺族会はそういうことも考えて行動してほしいと私は願っている。

再び戦争しないと祈る場が戦争につながる場だったということのないように願うものである。

No.65  靖国参拝のこと(1) (H13.08.20)
No.219 ついに今日靖国参拝のこと  (H18.08.15)


 
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