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  たわごと編: No.184  
  2013.09.09 親に生前整理を求める打算  
 
  お盆の話題として取り上げたのか、8月16日のあるTVのバラエティ番組で子が親に生前整理をしておいてと言ってもやってくれないという嘆きの投稿に関連したトークがあった。子が親に言ってやっておいてもらったほうが良いという意見や亡くなったあとで子が整理すれば良いという意見に分かれた。生前整理と言われると親は自分の死を連想するから親としては言われることに抵抗があるというのが共通理解だったが、それでもしておいて欲しいと言う人は残されたひとが何かが見つからず相続手続きなどで困らないように分かるようにしておいて欲しいということのようだった。

私は自分ではそれなりに整理はしているつもりだが、自分の死を前提としてのはなしは聞きたくない。ほとんどが私の死によって自分たちが何を得るのかというはなしにつながっているからである。私はそういうはなしを私の面前で言われたら気を悪くする。そして私が死んだら妻がどんなことを言われるかについても心配になってくる。70も過ぎたのに親が自分たち子のことを見守ってくれていないとか考えてくれていないとか言われるのはご免である。こっちの方が見守られたい立場なわけである。子がいつ死んでもおかしくない歳になった親の面前でその死に自分たちの得を求めるようなことを言われれば、私なら不信感が募るだけである。

誰でも年をとってだんだん死を意識するようになるとひとから自分の死について、それも自分の死からそのひとが得られるものについて、面前で言われるとなるとあまりよい気分ではないはずである。親の死を心配するよりは自分たちの得を考えているからそういうことになるのだと思えるからである。TV番組のテーマの生前整理もそれに通じるところがあって、生前整理を親に求めるということは親が最後まで自分の思い通りに生きるよりは残されたものが楽あるいは得するように整理してくれということである。

番組では賛否両論、結論は出なかった。切っ掛けの投稿は親が死んだあと面倒くさい整理をしたくないのに親が生前整理をしてくれないということだったが、整理屋に頼めば良いと言って親に生前整理を求めなくてもというひとの意見もあった。自分の得を求めていないなら遺産から整理屋の費用を出せばよいわけで、生前整理要求派はどうしても自分の得を考えてのことだという印象を拭えない。生前整理はひとに言われてやるものではなく、死を意識し考えた親が自分の意志で必要と思ったらやるものである。私はそう思うのだが、最近やたらに子が考える相続問題などというような本や記事が出ている。親の死で得をしようと言って何者かが煽っているのか、親の死で得をしようという人間が多くなったのかと嫌な気分である。子は相続を当てにせず自分で人生を切り開いていけばよいのである。


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