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この冬大雪に見舞われた地方で除雪がままならなかったようなことが報道され、従来除雪作業に応援動員されていた地方の土木業者が公共事業の削減で廃業あるいは規模縮小していたため機材と人員を投入できなかったことがその要因の一つであるとのことだった。また今回の東北関東大地震では自衛隊が大量動員されている。
一旦大災害が発生したら災害救助や災害復旧にはそのとき必要な活動をする機材や人員がどうしても必要である。平穏時は沢山の土木業者を養うような公共事業と業者への仕事配分システムは無駄に見える。だから仕分けなどのはなしになると格好のターゲットになる。自衛隊もその出番のないことそれ自体に存在意義あるのだが、出番のないことを取り違え無駄削減のターゲットにする。しかし今回の大雪や大地震の状況から考えるに、その攻撃ターゲットに頼らなければどうにもならないことを住民・国民は知るに至った。
社会には通常は作動しないが異常が発生したとき作動する安全装置みたいなものが必要なことを身を持って知ったわけである。平穏時にはそれに気づかないあるいは軽視している人間が多いのではないか。経済性ばかり追求したり局所的最適解の正義を振りかざしたり話し合う以外の手段を持たず平和を願ったりすることの可笑しさにもう気がついてもよい。生活が一番とは社会の安全装置あってのことである。例えば地方の土木業者については、大雪の例を見れば生活基盤保全の役割があると思われる。そのためには社会が適正に土木業者を養うことが必要である。従来の公共事業とその展開システムにはその役割もあったと思えるのである。それはむかしからの知恵だったのかも知れない。
土木公共事業について従来問題があったとすれば、それぞれの地方において土木業者が適正な規模であったか、あるいは公共事業においてその事業が適正であったか、またそのお金を流し方が適正であったかが問題のような気がしないでもない。お金を絞って必要な土木業者を養えなくするのではなく、われわれがいざという時のために適正な保険を掛けるに似た見方で適正にお金を回す必要があると思うのである。今回の大雪の例は地方や日本全体を見ないあるいは知らない政治家やそれに追従するメディアその他いわゆるエリートが見かけの正義を掲げて国民生活の安全を阻害した結果かも知れないのである。
こういうはなしは、自衛隊や国土保全にかかわる第一次産業などをどのように維持するかという国家政策の基本条件として考慮されるべきであるということを考えさせるものである。田舎に住むようになって久しい私がそういう観点で地元自治体の施策を見るとその適正さや効率性の問題を指摘されている部分はあるが住民の仕事を作ったり産業振興策としてお金を回すことがほとんどのようにみえる。こういうことも安全装置の要素なのかも知れない。
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