屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.302 屋久島(157):税金とみること  (H21.04.27)

この4月から宮崎市で地域コミュニティ税が導入されたそうである。納税者一人当たり年500円らしい。そしてそれを地域活動活性化のために自治会(町内会みたいなものと思われる)に交付するようである。自治会は活動計画を示して交付申請するのだが、その受付が始まった矢先どこかの元自治会長(今回の税導入以前のある時期の自治会長)が補助金を着服していた疑惑が持ち上がって制度開始に水を差されるかたちになっているという報道があった。自治会組織自体の対策も必要との論調もあるようである。

その報道から私は地域の税金みたいなものについてのはなしを思い出した。移住したての頃、やれ区費が高いの、電気代が区から購入するとJAから直接購入するより高いのと嘆いていたところ、ある地元の人から田舎に住まわせてもらっている税金と考えたらどうかと言われたことがある。そして以下真偽や的を射ているかどうかは自信がないが、私がそれもありかと言うとしたときの理由として考えてみたことである。

区というのは地籍表示の大字に当たる地域範囲でそこに住む住民の任意団体がその大字名(むかしの村名)を冠した集落組織・XX区である。そして最近知ったのだがその集落の区長は町行政からは駐在員として任名されている。そしてまた町は区に業務委託料を払って何がしかの業務を委託している。つまり区は住民の任意団体でありながら町行政の下部組織であるという性格を持つ。

今はそういう言葉を使わなくなったようだが、私が移住して来た当時は区の業務や行事を取り仕切ることを区政と呼んでいた。多分むかしは村として取り仕切ってきた業務・行事のうち町制が敷かれて新しい町への移行に漏れたものの受け皿が行政権限の無い住民任意団体・区ということになっているのではないかと思われる。そしてそういう区ではちょっとした都会並みの町内会費と町からの何がしかの業務委託料だけでは旧来の村の時のような業務や行事を継続する資金が足りなかったことが考えられる。

そこで考え出したのが、例えば電気事業で検針と集金を請け負って業務委託料を貰う一方で住民からも集金手数料を取る(すなわち区経由だと電気代が高くなる)ビジネスだったと思われる。それでも足りなければ、町内会費に相当する区費をそれ相応に高く設定することになる。大分前に一物二価解消のため電気代をJA直接支払い並みにした際に区の業務や行事の合理化を実施したとは思うが、それでもその後区費は上がったように憶えている。

そして私の知る範囲では地元の人たちが区費の高さに不平を言うのを聞いたことがない。もしかしたら住民は生活の安心を保証してきた旧来の風土から抜け出したらどうなるかという不安があって旧来的風土の継続を望んでいて、そのためにはある程度の負担は止むを得ないと考えているのかもしれない。それが公益のための税金という発想につながっているという気もしないでもない。

私は区の業務・行事をもっと整理する必要があると思っている。町としてなすべき業務・行事は町の責任で実施し経費・人件費はすべて町が負担するようにする。勿論集落区域に駐在員その他の町関連業務従事者が必要なら町がその責任で選任し手当ても支払うこととする。そうすれば区は半強制参加組織ではなく純然たる任意団体となって独自採算で事業・行事をすることになる。このようにすれば惰性的業務や行事などは減るから住民税が少し高くなるくらいで区費はぐっと軽減されると思われる。

しかしそれで残る純粋の任意団体となった集落・区がどんなものになるのか私には想像が出来ない。いまだ田舎の住民社会と生活の内実の理解が出来ていないからである。地元の人にはあまり違和感のないやり方が外から見るとローカル基準が効きすぎていると見えることもあるが、そのやり方は地元住民がそれなりに食っていける知恵あるいは伝統みたいなものであるかも知れない。

私は一応将来も生活に大きな不安のない他所者・移住者だから理想と正義を追及することに走り易いが、その良し悪しは別にして地元住民の生活心情をもっと理解する必要があるかもしれないと感じている。そして最近よく指摘や批判の的になっている政治のあり方や行政運営の田舎的風景にもその地元住民の生活と心情が反映しているのかもしれないと思ったりしている。


No.297 屋久島(154):むかし的なこと  (H21.03.16)


 
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