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この8月末でわが家のラブラドール・レトリバーのレオが9歳になった。私が還暦を迎えたときに飼い始めたので、私が以来重ねて来た新たな年齢ではほぼ私と同年齢である。そしてむかしからのことだから数え年でみるのが妥当だとすれば、今年私は古希でもある。最近の犬の様子をみると私同様少々草臥れてきたようである。
(写真・左: 夏の散歩折り返し点にて)
(写真・右: 暑い日の定位置・玄関たたき)
子どもたちの独立後屋久島に来て、同居していた父も亡くなったあと夫婦二人暮らしになった期間のほとんどを犬と共に過ごしてきた。この2年くらい前から夏の散歩で犬がしばしば中休みをし私たちの顔をうかがう仕草をするようになった。私たちも暑い中、農道から日射のある県道を通る結構距離のあるループ経路を通るのは負担になってきていたときである。互いに年を感じているのが伝わり合ったものと思われる。
そのころから夏の暑い間は主に直射日光に当たらない木枝のトンネル状になっている部分が多い農道の往復で済ませている。私たちにはそれでは運動が足りない感じのする日もあるが、犬は大体は折り返し点になるとこちらの顔をうかがう。そこで帰ろうかと言うと向きを変える。暑さが厳しくないときは自分から引っ張って先に行こうとすることもある。それでも一番近い曲がり角を曲がって県道に出る短めのルートしか選ばない。
家では夜寝るときはケージに入れるのだが、昨年からは他の時間のほとんどは玄関のたたきで横向きに寝転がっている。自分から起き上がってくるのは、エサや何か食べ物にありつけそうな気配のとき、散歩の時間だよと催促にくるとき、誰か知らない人あるいは車の気配を教えに来るとき、なぜだか分からないが夜9時ころ撫でてもらいに体を摺り寄せてくる時くらいである。それ以外の時は大きな声で命令するように呼ばない限り玄関のたたきに寝転がって動かない。床温度が比較的冷たいためと思われる。
私は、一日の殆どを約半径10mの範囲で過ごしている。やっていることと言えば屋内では食事、排便、洗面、入浴の他はPCの前に座って情報を見たりデータの作成・加工をしたり、録画したニュース解説番組やミステリー番組を見たり、新聞や本を読んだりしているが、TV番組や新聞・本は犬のように寝転んで見ていることが多い。就寝時間以外は一応犬よりは頭は働かしているからましかと思うが、私が寝転んでいる時間も相当なものである。
犬の散歩は朝夕一回、これは犬も一緒に動く約半径10mの外の運動だが、家・敷地内で犬より私が動いているのは、朝庭に出たとき照る日は遮光布を居間のガラス戸の外に張ること、芝面で目に付く雑草や敷地縁の木々の伸びすぎた枝葉を抜いたり切ったりすること、草木の鉢と小さな野菜コーナーに水をやることその他家周りの細かごとである。大掛かりな芝刈り枝切りの場合を除き、大した時間はかからない。ほとんどは犬のように動きのないぐうたら生活をしていることになる。
しかし朝は6~7時には起床し夜9~10時就寝するまでの時間、殆ど暇を潰しているようなぐうたら生活ながらも自分なりにはやりたいことをやって充実している。それに反して犬は私たちに生活を全面的に委ねて寝転んでいるばかりながら草臥れているように見える。私の親は私たちに老後を委ねるのを前提に生活を立ててきて、実際老後は私たちに委ねて暮らしてきたと思うが、それは一面仕切られてばかりの暮らしである。
犬は仕切られて苦痛はないかもしれないが、私なら我慢できず苦痛なほど草臥れると、犬の様子を見てふと我が身に置き換え親とのやりとりに反省するところがあった。幸か不幸か私たちは子どもに老後を委ねるのは無理な時代になるとの覚悟で、子どもに頼らずに済むように人生設計をしてきた。そしていま自分なりの草臥れ方でやりたいように暮らしている。
これを書いている今日9月20日は敬老の日である。まだ私たちは高齢祝いの対象になる歳ではないが、犬と共に老いつつあることを折りにふれ感じたりはしているわけである。以上、まだ暑い夏のような日にする近況報告である。
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