|
私は友人が少ない。その中でいまでも消息を確かめ合っている高校時代の同級生だった友人が二人いるのだが、そのうちのひとりが亡くなった。彼が高校の教師をしていたときに職場結婚したのだが、その結婚式のときの司会が私だった。50数年前のことである。
私が屋久島に移住してからは、1回上京したときに会ったきりで、それ以外は年賀状などで互いに消息を確かめ合うだけだったが、友人になって以来その後の境遇の変化に関係なく対応してくれたむかしながらのもの言いで気の許せる優しい友人だった。
社会に出るとひととの付き合いは、肩書による関係が多い。そのときの必要性で親しく付き合うが、一旦その肩書を失うと関係が冷めてしまう利害関係が付きまとった付き合いがほとんどである。ひとを何で評価するかと言えば地位や打算的側面に支配されることが多いわけである。中にはそういう関係の中の付き合いからなにか人間的に感じることがあってその後の付き合いが続くことがあるが、稀で私の場合は数人に留まる。
だから私にはむかしからの友人は5本の指で数えられるくらいしかいないわけである。それも互いにたまに消息を確かめるくらいの関係である。そういう友人の訃報に接するとひとつの思い出深い自分の世界が消滅に向かっていることを意識せざるを得ない。いまは何となく寂しい。家族と少数の友人以外ときに私を思い出すひとはいないと思われるが、そのひと達もだんだん少なく成って行くわけである。
. |
|
|