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  偏見ご免のたわごと編:  No.332ap
ノーベル平和賞に日本被団協_どうすれば核廃絶出来るのか  2024.10.12
  ノルウェーのノーベル委員会が今年の平和賞は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)だと発表したようである。広島と長崎の被爆者による草の根運動の日本被団協が、核兵器のない世界実現を目指して努力し、核兵器は二度と使われてはならないのだと目撃者の証言から示したことが授賞の理由だそうである。

世界のほとんどの人間は戦争は嫌だし核兵器には反対していると思われる。そしてまた戦争や核兵器の恐ろしさやその実態を伝えながら反対することについても、やってくれる人たちのその思いは理解しているし、やる意義も理解していると、私は思っている。

ただ現実に核兵器が存在し使うかも知れない権力者あるいは国家が存在しているなかで、それらの国家や指導者がこぞってそれらを廃棄する言うときが来ない限り、核廃絶はないわけである。私にはそんなふうに思える。止めろ止めろと言い続けることは必要であるが、止めさせる方法があるなら見せて欲しいと私は思っている。

似たようなはなしに防衛論議がある。いま衆議院議員選挙前でテレビで党首討論や合同会見を聞いていて外交が大事だからそれに注力し防衛力整備はほどほどにせよと言う側に違和感があるのである。誰でも戦争は嫌だし外交が大事なことは当たり前だと思っている。外交だけで平和が得られるのが理想である。でも現実の外交が自分側だけの思い通りに進むわけではない。理想の追及に賭けることは幻想である。

私が思うに、防衛論議はその外交が破綻した最悪の場合に備えることである。そしてまた相手が軍事力それも核をバックに脅しをかけて来たら万歳して相手の言うなりになるつもりでないなら、脅しをかけられないくらいの軍事力を保持して外交力をバックアップ出来るようにすることである。戦う覚悟とその力がない国の言うことをシリアスな最終局面でどういうやり方で相手に取り合ってもらうのか。大事な外交でタフな交渉が出来るのも国力なかんずく軍事力のバックアップあってのことであって、外交と軍事力を切り離して論議しようとする側に違和感があるわけである。


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