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  日誌編:  No.279  
本・「デフ・ヴォイス」を読んだ_むかし私はもっぱら筆談 2024.01.22
 
見ていないのだがNHKでドラマをやっていたのは知っていた。その原作らしい本を妻が購入していたので読んだ。「デフ・ヴォイス_法廷の手話通訳士(丸山正樹著・文春文庫)」という本である。そのシリーズの2冊も読んだ。デフのひととのコミュニケーションの機微に精通することはなかなか難しいことだが、以下はこの本の感想ではない。その本を読んでいて思い出した会社時代だった40年くらい前のことについてである。


身体障害者雇用が義務化された後のことだと思うが私のいる部署にデフのひとが配属されて来た。ある職能があって所属の担当者から業務の依頼を受けて仕事をする。仕事の依頼は各担当者間で順番や期間を調整してやってもらうことになったのだが、その他もろもろに関しての相談や窓口を私がやることになった。

あるときそのひとが庶務係にある手続きを依頼したのだが取り違いで管理部署での手続きがうまく行かなかった。そのあと手続きはやり直してもらったのだが、デフのひとは上手く行っていないのが分かったとき、デフだから手を抜いてちゃんとやってくれなかったのだろうと怒りまくったことがあった。ひとは完璧ではないからミスすることはある。ミスが分かってやり直している。デフだからと故意にやったわけではないということを理解してもらうのに手間取ったことがある。

私はそのとき障害者は、被害意識がすごく強い、他のひとよりコミュニケーションの取り方に制約があって阻害されているのではないかと常に気にしていると感じたものである。周囲のひとはどうすればよいか分からないながらも不愉快な思いをさせないように気配りはしているのだが、ボディランゲージを含めコミュニケーション言語の違いはなかなか解消するのは難しい。何回も他のひとは悪意を持っているわけではないから、そう思って納得いかないことは確認してもらうよう頼んだことがある。私のいる部署へ配属されたデフのひとはとても頭の良いひとだったが、周囲を信頼したのか諦めたのか、その後態度が穏やかになって行ったのだが、本当はどうだったのか私にはいまも分からない。

私はそのひとが配属されたとき行政のデフ専門の担当者による手話講習を受けたのだが、短い講習で手話を習得することは出来なかったし、本は買ったが習熟する努力もしなかったので、そのひととはもっぱら筆談だった。メモ用紙をいっぱい用意してやっていたのだが上記の「デフ・ヴォイス」という本では、メモ用紙でのやっつけ会話には批判的記述があった。あまりよいやり方ではなかったようである。でも40年たったいまでも年賀状はもらえているから、少しはそのひとの役に立っていたのかという気はしている。


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