屋久島生活の断片・日誌編
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No.33 老人医療・介護のこと (H12.12.17)

先日(12.11)WOWOWで「パッチ・アダムス」という映画(医療・介護のあるべき姿を考えさせる映画だった)を見た。それで父のことを通して見た医療と介護の事情を書いてみたくなった。

父は平成11年夏93歳で亡くなった。屋久島には平成7年1月に移住してきたので当地で約4年8ヶ月過ごしたことになる。父は家にいるときは誘っても散歩はせず、目的を持って歩くといえば食事にDKへ来る時とトイレへ行くときだけ、殆ど部屋で24時間TVをつけっぱなしにして見ながらうつらうつらしている。そして気が向くと徘徊する。難聴で障害者手帳を持っているくらい耳が聞こえない。だからよい返事はしても人の言うことが大体解っていない。そういう人間の例である。

尾之間診療所
 (町立だったが先生が買いとって
  今年から個人経営になった)

当地に来てからは「尾之間診療所」がかかりつけの医院だった。私たち夫婦は先生が納得のいく誠実な説明をしてくれるので連れていくのに安心感があったが、父も先生や看護婦さんが親切に接してくれるので気にいっていた。風邪とかつて胃癌を手術したことによる体調変動で主に見ていただいていた。先日都会にいる息子が父のかつてのかかりつけの医師と会った際昨年亡くなったことを伝えたら良くそこまでもったと驚かれたとのことである。私はそれは尾之間診療所の先生のおかげだと思っている。

社会福祉協議会とこまどり館

 

いつかは忘れたが引っ越してきてから町に福祉協議会のデイケアサービスをする「こまどり館」が出来た。週1回だがリクリエーションと入浴をさせてくれる。ここは個人個人の把握がよくできており親身でやさしい扱いをされるので父は好きだった。地元の老人を地元で世話をするという気持ちが働く人から伝わってくる感じがある。ひとつ難点といえば具合が悪くなった場合の医師とのリンクがなく家族が迎えに行って医院に連れて行かねばならずその対応に時間がかかることである。

その後徳洲会系列の「クリニック」が原できこまどり館のほかに週2回そこでもデイケアサービスを受けることになった。父は難聴なので係の人のいうことも良く理解できなかったりしたらしい。入浴のときなど聞こえないから大きな声で怒鳴られたり言われたとおり動かないから強引に誘導されたらしい。通っている間に時折帰ってくるともう行きたくないと言うようなこともあった。個別の把握や注意の面ではやや配慮に欠けるところがあるのかなと思う。ただ具合の悪くなったときは医師がいるので処置は迅速である。行っているとき発熱し動けなくなって即徳洲会病院へ入院で助かったことがある。

私と妻が家をあけなければならない時は町に申請し「龍天園」という特別養護老人ホームにショートステイを依頼した。家にいるのと同じような生活パターンですごせ、またケアの心遣いが感じられるようで父から不満の声を聞いたことがない。介護保険が始まる前ある生協で屋久島の介護施設の見学調査をしたがそのレポートでもここと「こまどり館」がよい評価を受けていた。

父が亡くなった年は断続的に肺炎で「徳洲会病院」に入院し最期もそこで迎えた。ここは普通の人としての気配りや思いやりはあるのだが看護や介護をする者としての意識とトレーニングのレベルはばらつきが多すぎるようである。父はここは素人ばっかりだねと見舞いに行くと訴えていた。

あるとき脚に点滴をしている時に見舞いに行った。脚が水膨れになって太さが2倍になっている。血管に針が入っていないからである。私が指摘して直してもらった。この下脚は亡くなるまで皮膚がはがれてグジュグジュのままだった。点滴をはじめたらしばらくしてそれがちゃんといっているか確認をすればすむことである。それが行われていない。まあミスと言うか対応不備はその他いくつかあった。徳田とらおの理想は完全実現と言い難い状況である。

地元では徳洲会病院に入ると死んで帰ってくるといやがる人がかなりいる。総合病院はここだけだから、あぶない老人は大体ここに行き死ぬことになる。だから死ぬ人が多いのは致し方ないと思う。しかし看護や介護の意識と作業のレベルはばらつきをなくし高位安定化してほしいと思う。自分がいずれ入ることもあろうからこれは切実な願いである。

 

補足: 介護の問題点の一つのこと (H13.01.08)

近所で最近介護保険の適用を受けている家で施設の変更をしたという話を聞いた。適用を受けている人はかなりの高齢で身体は不自由だが頭はしっかりしている。介護する人より数段は人生経験があり能力を発揮して来た人である。

そういう人がもののように扱われたり馬鹿のように扱われたりする。多分やるほうはそういう意識は薄いのかもしれないがやられている方がそう感じてしまう。老人は子供扱いされたくない。人のペースで強引に身体を動かされたくない。

自分が今の頭の状態でそうされたらやはり我慢できない。私の亡くなった父は少しボケが入っていた。それでもそういうようなことに敏感だった。そしてよくあそこへは行きたくないなどと言っていたものである。

しかしボケているとは言え老人はしたたかな姿を見せる時がある。介護するほうも気に触ることがあっただろうと思わぬでもない。

 
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