My logbook : 屋久島暮らし残照録  
  Home > 目次 > 記事  
  偏見ご免のたわごと編:  No.102
ロボットあるいはAI_将来どうなる 2021.10.04
  8月末ころだったと思うが、テレビのある番組で有名なロボット開発者が、ロボットは人間のような動きをすることは苦手だからヒト型ロボットの将来行きつくかたちはコミュニケーションをする癒しロボットではないかと言っていた。正確な表現や詳細は憶えていないので私に残っている印象ではそう言っていたように思っている。

私はある初歩的なロボットのセットを組み立てたことがあるが、そのとき動作機構を組み上げてみて将来本当に人間同様に動くハードを作ることは出来るのかなと思ったことがある。コンピューター・ソフトで動くという性質上、音声と画像などのセンサーからの入力と音声や光あるいは画像の出力と簡単な動きで済みそうな会話中心のロボットなら作りやすいし、私も会話ロボットなら1台くらい家にあってもいいかなと思っていたから、そうだろうと納得してそのロボット開発者のはなしを聞いていた。

ロボット・ソフトの中枢はAIで、学習することが出来る。入力されたあるいは取得し蓄積したデータをもとに何事かの当たりをつけ、それを出力する。つまり、ひとの動作や声などに反応する簡単な動作やそれなりの会話をさせることが出来る。それを繰り返して成長するロボットも作れる。将来、かなり個人個人に対応した洗練された癒しロボットが使われるようになるのではないかという気がする。

動作型のロボットは、多分作動機構の万能化は無理だから、ある目的に特化したオートメーション・ロボットに似たものになるのではないかという気がする。ヒト型ロボットで走ったり跳ねたり宙返りしたりするものが開発されているが、いまのところひとと暮らすにはごつく威圧感もあり実用的でない。作動機構が華奢で人間の様な姿かたちにでもならない限り特殊用途あるいは限定用途用ということになりそうである。動作型のロボットは、AIも限定した入力と出力で動作するマシンということになるのではないかという気がする。

あるいは将来、癒しロボットと動作型ロボットが一体化した姿かたちが人間並みのヒト型ロボット、例えばカズオ・イシグロの小説の「クララとお日さま(土屋政雄訳・早川書房刊)」に出てくるクララのようなロボットになる可能性はあるのだろうか。私は、それよりも施設型の巨大頭脳の方が実現可能性があると思っている。マンガかアニメかで見たような世界中のデータを学習し蓄積した頭脳みたいなコンピューター施設(私が思うにこれもロボットの一種)のAIが無線で動作型ロボットを自在に使いこなし人間を支配しないかと気になっている。なにしろAIは死なないから自分でバージョンアップを繰り返すなら恐ろしい存在になるかも知れない。

人間的に生きるということは、ひとそれぞれが試行錯誤を繰り返しながら自分で成長していくことでもある。つまり自分で考え自分で決めるところに人生の楽しさがある。そして人間は必ず死ぬ。ところがAIは死なない。もう私にはどうなっても関係ないことだと思われるが、スマホ出現で短い言葉でしかコミュニケーション出来ないひとが多くなったとの指摘もあることを思うと、生まれたときからそのときどきのAIバージョンの下で生きる人間の人生はどういうものになるのか気になるところではある。


補足: 
将来、国民は二分されるか
自分の思いをAIにしてその利用者を支配する人間。ただ提供されたAIを利用する人間。このように国民は二分されるようにならないかと気になる。ある価値観でAIを開発し世の中に提供する人間になるか、提供されたAIに疑問を感じることなくそれを信じて利用するだけの人間になるかということだが、生まれたときからAIに支配されて育った人間がどういう道筋で支配する側になれるのだろうか。AIを創り運用する貴族とそのAIの言う通り働く奴隷というような世襲階級社会が出現しやしないかなどと、もう自分には関係ないと思えども気になる。


(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
  No.493  AIには苦手らしい_長い文章の読み書き  (2018.12.10)

. 
 
  back