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  偏見ご免のたわごと編:  No.090
努力すれば必ず報われるとか_選手の言葉の意味は 2021.08.09
  オリンピック競技をテレビで見ていて好成績を挙げた選手や出場選手がが言う、努力すれば必ず報われるとか、楽しんで競技が出来たとか、競技することを楽しみたいという言葉が耳についた。

努力すれば必ず報われるという言葉は、勝ったひとだから言える。その種目で競い合って出場できなかったひとはその努力は報われなかったのだから、メダルを取ったひとだけが努力が報われたわけで、メダルを目指して努力してきた他のひと達は報われていないのだから違和感がある。

世の中ほとんどのひとは努力をしても報われる機会は少ないと分かっている。私などは努力しても報われるほどの成果を出せる自信も能力もないから初めから諦めていることが多い。諦めないのは大体は些細な自分で出来そうなことをするときだから、それが出来て努力すれば必ず報われるなんて言ったら馬鹿かと笑われるのが落ちである。

だから、努力すれば必ず報われるという言葉は、勝ったひとが今までの自分の努力がどれほど辛いものだったか、それを耐えてメダルを勝ち取った、その自分への慰労の意味で言っていると私は受け取っている。そのひとが本当に努力すれば必ず報われるということはないと分かっていると思われる。それをその気持ちと裏腹に一般化した努力すれば必ず報われるという言葉で言うから、生まれつきか頑張れない私には素直に入ってこない。

同じように、楽しみたいとか楽しくやったという言葉も違和感がある。プレッシャーに負けず自分の思い描いたようにやりたいあるいはやった、また辛いあるいは辛かったけど、それを苦しく感じないでやれるあるいは苦しく感じないでやれたという満足感がある、ということを言っているのだと私は思っている。しかし努力すれば必ず報われると勝てば言う一方で勝てそうにないときあるいは負けたとき楽しみたいとか楽しくやれた言うのだから、負け惜しみっぽく聞こえて違和感がある。満たされない思いを例えば精一杯やりたいとか悔しかったとかそういう言葉で言ってくれた方が私は共感できる。

努力すれば必ず報われるとか楽しむあるいは楽しかったと言う。選手がなぜそういう言葉を使うのか、真意を一言で言い難いということかも知れないが、察しの悪い私はその場で意味がすぐ分かる言葉でないと違和感を感じてしまうのである。多分大方のひとは選手の言わんとしていることは分かっていて、私が思うような意味であるいは私が思うのとは別の意味で慣例用句として定型化している言葉なのかも知れないが、私の耳には引っかかってしまうのである。


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