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桜を見る会をめぐる国会での状況を見ていると政府や関係官僚は大変だなと思ってしまう。私のその印象の当否は別にして、状況的には勘繰りを誘う事態であるとは感じている。その分けはある種のウソについて私が次のような見方をしてしまう傾向があるからである。
一度ある事態で本当のことを隠しごまかし押し通すと、その事態に関連する物事がすべて消滅するまでその物事に関連する新たな事態が発生したとき以前のごまかしを前提とした対応をとらなければいけなくなる。以前のごまかしと整合性をとった対応は大方またごまかしをしないと成立しない。そして新たな事態が発生するたびにそれ以前のごまかしを前提とした対応すなわち新たなごまかしを積み重ねていくことになる。回を重ねるごとにごまかしに苦慮することになる。事態の真相とごまかし対応の乖離の経緯を記憶し続けて何とかごまかしの解を見つけるのも大変な苦労である。また担当が変わっても破綻しないようその経緯を維持管理するのも大変である。
私にも経験がある。不具合などが発生して顧客に虚勢を張って(ある種のウソのようなもので言い逃れて)そのときは切り抜けても、また同根の問題が形を変えて持ち上がると前と今の辻褄合わせに苦労する。それが何度目かになると記憶力(いままでどうウソをついてきたか憶えている)と技術力(今回も虚勢を張れて問題にも有効な対策を考える)と論理構成力(前のウソと今の虚勢を張れる対策の辻褄を合わせる)と度胸を総動員して当たらずといえど遠からずというウソのようなものを上塗りしていくのだがそれはつらいものである。いつか破綻するのではという思いに苦しんでいたものである。
以下、上記のはなしに関連しての訳本・反日種族主義を読んでの感想の一つである。本が言っていることから考えるに、韓国については自分たちの思いに合わせて都合よくごまかしてウソの歴史を作ったがために、何かあるとそのウソに合わせて新たな対応をしなければならない状況にあるように思える。そのウソを信じ切っている国民の前にそのウソと整合性ある対応をするために今までのごまかしを前提とした対応をし続けなければならない。だから韓国も大変である。
自分たちのあって欲しい歴史を自分たちで書くのはむかしは可能だったかもしれないが、全世界から歴史研究が可能ないまの時代、外の歴史研究が明らかにする歴史の事実によって、自分たちのあって欲しい歴史のウソを暴かれる日がいつか来る。そういう指摘の事実を自分たちのウソに合わせたこじつけ解釈で辻褄を合わせをし続けても綻びは出て来る。本ではそうならないためにも韓国については反日種族主義を克服することが必要だと言っているようである。似たようなことは共産党一党支配の正当性が前提の中国にも言える。中国もその正当性主張を覆されないように常に相当対応に苦労していることと思われる。
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