My logbook : 屋久島方丈記 
Home > backnumber目次 > 記事  
  日誌編  ・ 偏見ご免のたわごと編  
  たわごと編: No.524
 
  2019.06.17 100年安心年金の意味_元から自助は前提  
 
  6月半ば、金融庁の審議会による報告書が100年安心と謳っていた年金で暮らすには2000万円足りないという指摘をしていることが野党などで問題になって政府は受け取らないと麻生大臣が表明した。私は報道で知る内容の限りではその報告書には違和感は感じない。

65歳以上の夫と60歳以上の妻の無職の夫婦の場合、毎月の収入は約21万円で、 支出はそれを上回る約26万円。約5万円の赤字が出るため、老後30年生きると約2000万円不足するとの試算がその内容だが、これはひとつのモデルにおける試算である。その数字がすべての人に当てはまるのではなく、自助が必要なのが実態だと言っているだけである。いまだって国民年金だけの受給で暮らしているひともいれば、厚生年金だけでモデルケースを上回る支出の暮らしをしているひともいるわけである。

そもそも100年安心の年金について、私はそう言われた当時から現役世代の収入の約半分の年金しかもらえない時代が来るのだと周知する言葉だと受け取っていた。時代とともにだんだん現役世代の収入に比して年金は減って行き、最後には年金は現役世代の収入の約半分くらいになる。これはモデルケースにおいてのはなしだから、個人個人ではそれぞれ過不足の大小は異なる。そういう時代に備えよと年金定期便などが始まったわけである。

当初から個人個人のはなしではなく象徴的表現として現役世代の収入の約半分の年金で生活を賄えないならば自助努力で賄えるようにしなければいけないことは当たり前のはなしだったわけである。100年安心を死ぬまで自助努力なしに年金で暮らせるというはなしだと信じていたおめでたい人間はいないはずなのだが、野党など今回の試算を批判するものはある意味おめでたい感じもしなくはない。

100年安心の年金が人口構成の変化などで保険料とそれまでの積立金で賄えなくなったら不足分は税金などから補填する。それは100年安心の前提にあると私は受け取っていた。そのためには税収アップが必要になるかも知れない。消費税がアップするかも知れない。あるいは他の税金がアップしたり新設されるかも知れない。あるいは国債発行かも知れない。なにしろモデルケースで国が現役世代の収入の約半分の年金を保証するというのが100年安心の年金宣言の意味だったと私は思っているのである。

補足: 
切り取った情報で煽る_メディアと野党
2019.06.21
金融庁の審議会による報告書がその意図に反したように騒がれてるが、私はメディアがある一部の限定的な表現を切り取ってさもすべての場合にそうであるかのごとく煽ることに端を発して野党の一部もそれに乗っかって騒いでいるような印象がある。野党は政権を倒すと言って言葉尻を捕まえて攻撃するが、自分たちがやったらどうするかという建設的な意見はあまりない。私も政府は説明不足だと思ってはいるが、私が政府ならそういう相手に説明しても意味がないから、まともに説明する気にならない。野党はその主張や言動の在り方を見直した方がよいのではないかという気がしている。


(関連記事)
屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
  No.129  年金ばなしのこと  [2003(H15).10.06]
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
  No.73  年金支給開始年齢引き上げ案  (2011.10.17)

. 
 
 
back
「My logbook : 屋久島方丈記」は、「 My logbook : 屋久島生活の断片」の
日誌編 と 偏見ご免のたわごと編 の 継続版です。
My logbook : 屋久島生活の断片」の ご案内
日誌編 と 偏見ご免のたわごと編 (2010.05.31までの記事)
屋久島釣り場案内
妻関連の「SpinCom」と「SpinCom Gallery」