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  たわごと編: No.409  
  2017.06.26 死後離婚やその他の縁切りについて  
 
  最近テレビで死後離婚という話題が立て続けに放送されたような印象である。死後離婚とは夫が亡くなったあとその妻が姻族解消届を出し、夫の親・兄弟・親戚などとの縁を切るという手続きのことである。嫁が自分が選んだ夫との結婚を維持するために我慢して来た舅・姑との関係を切り、干渉されず自分なりの人生を生きたいというのが主な理由のようである。また嫌な結婚生活を我慢して来たから、自分が死んでも夫あるいはその家の墓に入りたくないというような理由もあるようである。いずれにせよ姻族関係維持が嫌だということは当然介護なんかご免という気持ちだということになるが、勿論死後離婚すればもしかしたら押し付けられるかもしれなかった夫の親の介護も免れるわけである。

私はそういうことを紹介する番組を見て、妻の方が夫の姻族との関係に悩まされてそれから逃れて干渉されず自分なりに生きたいといういわゆる妻側が被害者的な見方に重きを置いているニュアンスを強く感じてしまった。実際残された妻側の言い分がすべて正しくその帰結が死後離婚であるというケースもあるかも知れないが、私は幾分かは妻側が自分のことしか考えていなかったために夫の姻族との関係がうまくいかなかったこともあるのではないかという気がしているのである。

死後離婚の理由が、夫を愛して結婚したのであって姻族に従属することを受け入れたわけではなく、姻族関係は形式的なものであり他人との人間関係と変わりないと割り切ってきたので、夫亡きあとは形式的な姻族関係を解消して実質他人の関係になりたいというのなら、私としては納得する。しかし結婚してからの姻族関係に悩んで来たから解消したいという理由の場合には、姻族側もその妻に悩まされて来たかも知れないという観点が必要ではないかという気がしている。

はなし変わって私が聞いたある知人の知人の例である。死後離婚ではないいわゆる夫定年後の熟年離婚の例である。妻は経済的理由もあってか夫に不満を持っていたが定年まで我慢して結婚生活を続けて来たのだそうである。そして夫が定年になって会社を辞めたらすぐ離婚を切り出し離婚したそうである。家と多分年金の割り前となにがしかのお金をもらっての離婚だったようで、直後その妻は周囲の友人たちに意気揚々と成果を誇っていたようである。しかし一年足らずで別れた夫は再婚、そして幸せに暮らしているらしいと元妻は知るに至った。元夫は再婚し幸せに暮らしているのに自分には愛を語る相手は現れず一人で寂しく暮らしている。元妻はそういう状況になってから、鬱状態になってしまったということである。

何を言いたいかというと、妻は夫との結婚生活に不満がある。そして自分は悪くなく夫のせいでそうなのだという自分の気持ちしか頭になかったのではないかと思われる。夫の方だって結婚生活に不満があったかも知れない。自分が何か思ったり感じたりするのはよいが、相手は思ったり感じたりしないあるいは思ったり感じたりしてはいけないと決めつけていたのではないか。自分のことしか考えていなかった人間だったのではないかという気がするわけである。夫には妻との結婚を解消し新たな希望の結婚をすぐしようという人もいた、あるいは離婚後すぐにそういう人が出来た。妻は定年になったあとでさえも他の女性を惹きつける魅力を持った人物を疎んじていたかも知れないわけである。そうでなければ夫の再婚を知って鬱にはならないと思われるからである。

またはなしは変わるが、子ども夫婦ともに健在でもどちらかの姻族、大体は親と思われるが死後離婚されたような状態にある場合もある。夫婦で親を嫌っていたり、どちらかが義理の親を嫌ったりして死後離婚に似た状態になっているのだが、同居しない、親の面倒を見ないことを前提とした核家族化を推進して来た政治や社会の当然の帰結ではないかと私は思っている。それはそれでよいのだが、子どもらだけ自分たちがしたいように生きてよいが、親たちは子どもらに干渉されて生きなければいけないなどいうことになると、私はご免こうむりたい。

私たち夫婦のようなむかし風の人間は、多分結婚以来親と同居し親が死ぬまで同居しながら介護もしてきたと思われる。そういう人間でもある程度親に対し干渉もし、また全面的に生活の面倒を見るようになっても親に干渉されることもあったと思われる。同居して生活するのだからお互い不自由な一面があったわけだが、お互いそれを当然のこととして受け入れて暮らそうという意識を持っていた気がする。しかしいまの子らの多くは親は子の言うことを聞けと言えるほどの親への貢献・面倒見は出来ないあるいはしていない。核家族化が進んだいまの親子関係はそういう他人関係に似た現実にある。私の認識はそうである。

そういう時代に生きて行くには、親子としての気持ちの絆は絆として持ちながら、お互い別々の家庭あるいは家族だと割り切って生きて行かなければならない。そして子ら夫婦が自分たちの生活に踏み込まれたくないなら、親の生活にも踏み込まないことである。勿論、親が踏み込まれたくなければ子らの生活に踏み込むなという反対のことも言える。互いにそういう思いで暮らすようになる可能性が多くなるのは核家族化の当然の帰結である。子らを育て社会に送り出した親が子らに見返りを求めることが可能あるいは当然だった時代はとうに終わっていると私は思っている。政治や社会もそう考えていろいろな政策・施策をしてくれないと困るわけである。


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