屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
                     Home > 目次_top  >  記事

No.312 熟年離婚のこと  (H21.07.13)

ある知り合いのそのまた知り合いの熟年夫婦が離婚したというはなしである。離婚を切り出したのは妻の方で、その理由は夫に上昇志向がない、それが気に食わないということらしい。出世を気にせずやっていて楽しい現場での仕事を続けたいという夫に愛想尽かしをして妻から離婚を申し出たということである。夫は妻の不満を以前から知っていたようで静かにその申し出に応じたそうである。

その妻は、いつも優しい声で振舞いもしとやかなので、周囲からはやさしい性格で生活に満足しながら穏やかに暮らしていると思われていた。しかし本人が言ったという上記の離婚理由を伝え聞くと、その外見と違い内心では夫の肩書きで人に軽んぜられているというような引け目を感じていたようである。そして遠目の印象しかないのだがそういう目で今までの彼女の言葉や振る舞いを振り返ってみると、自分で自分の価値をあげるような生き方をして来ていないことに改めて気づかされるところもある。夫の肩書きを自分のステータスとしたりする欲求を隠して控えめに振舞っていたということらしい。

私の周辺でその離婚話を聞き込んでの感想は、その妻が何か身に付けることもなく生きてきて、それで別れて食べていけるのかと危ぶむことしきりである。しかし私は、多分離婚した妻の方は食べて行けるだけの成算があるときまで自分を抑えてきた。だからこの時期の熟年離婚ということになったのだと思っている。

このはなしを聞いてのわが妻の感想は、自分はたいしたことがないから人から軽んぜられてもそういうものだと納得しているとのことである。そのむかしわが妻も私の肩書きを望んだかもしれない。しかしあるときこれはだめだと諦めたか、自分が成長する戦略に変えて来たと思われる。以来自分の価値は自分の生き方にあると思って、私との生活と趣味の生活を両立させようとして生きているようである。それで出世もしない落第生の私もそれなりに生きてこられたということかもしれない。

ところで以上についての私の感想である。よく自分の思っている通りにことが進まなかったり自分が軽く扱われていると思うと、すぐ人を非難したりムッとした態度をあからさまに示す人がいる。自分しかものを感じないかの如きである。そして相手も自分と同じようにものを感じ思うということを理解せず、相手を憂鬱にさせていることに気づかない。

熟年離婚した妻の方は、そと面はよかったようだが家族などへのうち面はどうだったのだろうか。その妻は自分がどうなっているのだということばかり考えて周囲にやさしくなかったのではないかという気がしてならない。私は夫が妻の非難の目と仏頂面に長年憂鬱な日を過ごしていたのではないか、そして今は離婚で縁切りしてほっとした生活をしているのではないかという気がしている。


 
 Home   back