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  たわごと編: No.296  
  2015.08.03 オリンピックは発展的解消とし種目種類別ワールドカップで  
 
  オリンピック商業化の当然の成り行きか、競技にかこつけた儲け・経済効果追求競争の成れの果てが開催費用の高騰のような気がする。施設などの要件が本来の競技要件以上に肥大化して来ている印象である。もうオリンピックと言って網羅的に競技を一都市で開催するというコンセプトは破綻しかかっている。多分限られた国の都市でしか開催できないくらい肥大化していると思われる。

全世界陸上競技大会、全世界水泳競技大会、サッカーワールドカップ等々のように競技種類ごと世界チャンピオン決定大会を時期や場所を分散して開催することに移行したらどうか。オリンピックが商業化して来た要因には個人でスポーツの頂点を目指すことが極めて困難ということもある。競技ごと分散開催に際しては国際プロ組織のある競技は例えばサッカーならFIFAのような組織に任せれば良い。国際試合組織はあるがアマチュアしかない競技は国でその組織や選手育成をバックアップすれば良い。開催地も当然その競技ごと違っていて良い。オリンピックはなくすのである。そうすれば屋上屋のようなオリンピック委員会も要らなくなる。

それでも国あるいは都市の持ち回りではその度にお金が掛るし、またオリンピックのように各種目種類ごと肥大化してくる可能性がある。各競技の国際組織に運営費用の責任を持たせれば、他人の国・都市の金を当てにしているオリンピックのように肥大化はしない。プロ組織あるいは運営費用に責任を持つ組織なのだから赤字運営は避けるようになると思われる。それに耐えない競技は自然に淘汰され全世界大会開催が出来ないローカルスポーツだと証明される。オリンピックのようにローカルスポーツを競技種目にするような真似もできなくなる。

また施設建設に費用を要するがその時だけその施設を使用するような競技については、各種類ごと全世界競技大会の開催場所を固定したら施設建設費や施設維持費は各国・都市に分散される。そして国・都市の負担に限度を設け参加国に分担金を出させれば良い。そういう競技施設は小規模で良い。今の時代アスリートのパフォーマンスはTV放映で十分見られる。競技場に行ける人はいままでだって視聴者に比べればごく少数なのだから観客席数を競うことはないと思われる。

そもそも大観客の競技場で小さくしか見えない競技あるいはアスリートを見るより、TVで見る方が表情なども見えるし解説もあるのでいろいろな角度から楽しめる。全競技参加者を集めて開会式や閉会式で大騒ぎをするためだけに大観客収容施設を造るオリンピックはもう必要ない。競技種類ごとの全世界競技大会で放映権を通した興業とすることで十分商業的にも成り立つと思われる。あるいはそれで成り立つ全世界競技大会にすることが必要であると思われる。

補足1: 2022年冬季オリンピックは北京
これで中国が絡む戦争はあと7年は起こらないのかもしれない。ソチ五輪でロシアが動けないときにウクライナでアメリカが糸を引いていたと言われる反政府活動が活発化しクリミア問題に発展したが、似たようなことが2022年に起こらないとも限らない。

補足2: 新国立競技場のゼロオプション
2015.08.06
国会議員の河野太郎氏が、国立競技場を新たにつくらないという選択肢・ゼロオプションについて提言しているネット記事を見た。

オリンピックのために新国立競技場には、開会式・閉会式のための六万人収容のスタンド、陸上競技のための三万人収容のスタンドとサブトラック、サッカーのための天然芝ピッチと五万人収容のスタンドが必要とされているが、以下膨大な費用をかけて新国立競技場を建設することはないという河野氏の提言・代替案の概略である。

陸上競技場あるいはサッカー場は、新たに建設しなくともオリンピックを開催することは可能。陸上競技については、駒沢競技場を改修して三万人のスタンドとサブトラックをもつ第一種の陸上競技場にすれば、オリンピック後も陸上競技場として使えるし、世界陸上も開催することができる。あるいは新横浜の日産スタジアムを使えばコストをかけずそのままオリンピックの陸上競技を開催することができる。サッカーについては、味の素スタジアム、さいたまスタジアム、日産スタジアムで開催できる。

問題は開会式・閉会式で、現状では六万人収容のスタンドというIOCの条件がある。しかしそれも開会式をスタジアムでやらない方法をとれば必要なくなる。スタジアムでの開会式や入場行進を前提として考えなければよい。東京から新たな開会式のあり方を模索することを申し出て条件の変更を協議するようにしたらどうか。

補足3: 佐野氏のオリンピックエンブレム白紙撤回
2015.09.02
デザイン盗用疑惑で物議をかもしていた佐野氏のオリンピックエンブレムが昨日白紙撤回ということになった。国立競技場に続き白紙撤回となったわけである。日本の官僚・政治家・有識者の劣化が招いた感なきにしもあらずという感じがする。権限・権力は担う責任のあるポジションに与えられるものである。そのポジションにありながらその責任に対する認識が甘く権力の行使に酔ってしまった。それがこのような事態を招いているような気がする。
(補足の補足: パクリについての関連記事)
  屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
    No.216  巧妙な仕組みのこと  [2006(H18).08.05]

補足: 会計検査院が暴いたオリンピック費用のからくり
2018.10.06
報道によれば、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まった時点では、その総予算は凡そ6~7千億円程度と国民に説明されていたが、今回会計検査院の国庫負担状況の発表があって、それらを加味した国と都を併せた総額は3兆円にまで膨れ上がるということである。国土交通省をはじめ各省庁がこぞって関連予算を要求している分も含んでのことらしいが、財政負担が当初から3兆円と分かっていれば東京開催はなかったかも知れないということである。

今や、オリンピックは商業ベースの国際イベント興行なので他のプロスポーツと同様に民間任せで構わないはずである。しかしオリンピックは騎士道精神にも遡るスポーツマンシップの国際的育成プロジェクトとして創設されたため、商業・利権化した後も開催国の政府も関わるという特別の立場にあり続けているが、一ヶ月に満たない効用より出費の多い行事はもう考え直す時期に来ているような気がする。種目や参加国がどんどん増え人員的にも環境的にも施設的にも短期集中運営しなければならない負担はもう限界になりつつあると思われる。商業化・利権化で食っている人間の団体と化したIOCはもう解消したらどうかという気がしている。


(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
  No.372  出しとしてのオリンピック_その得はいかほど  (2016.11.07)
  No.549  オリンピック_それに頼らない振興策は  (2019.11.04)
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