My logbook : 屋久島方丈記 
Home > backnumber目次 > 記事  
  日誌編  ・ 偏見ご免のたわごと編  
  たわごと編: No.276  
  2015.04.06 義父の葬儀で6年余ぶりに上京  
 
  3月半ばに義父が94歳で亡くなった。妻は母が亡くなってから施設に入った父を悔いが残らないようにと機会を得ては訪ねるようにしていたが、私は義母の葬儀のとき以来6年余ぶりに上京した。集まった義理の兄弟も定年になりみな年取った。大方は孫を持つ身となっている。妻は長姉なので私の子どもたちがいとこ同士の中では年上でその子である孫の一人は大学生である。他の私の孫と義兄弟の孫の年齢は小学1年くらいとそれ以下である。葬儀では小さい子供連中が屈託なく騒いだりして賑やかだったが、義父自体が賑やかなことが好きな人だったので良かったのではないかと妻が言っていた。

子どもたちに学校卒業してからすぐ自立を求めひとりでやって行くようにと言って私たち夫婦が屋久島に移住して以来20年だが、今回私の上京しての収穫は子どもたちがそれなりの自信を持って自分の生活を得ていることを感じられたことである。それとともに私達夫婦も20年来の変化があったことを自覚させられる感じもあった。子どもたちが私達夫婦の先行きについて心配をしてくれていることが感じられ、子が親を頼りにする時代は過ぎ親が子に心配される時代になったということである。それは喜ばしいことではあるが、一方では私達がこれから子どもたちに心配をかけないようにするにはどうするかという課題を負ったということでもある。

多分妻より私が先に弱る。そしてその徴候は出ていて昨年の台風の後始末作業のあと半年たっても腕の痛みが去らず腰痛もしょっちゅうという状況になって、今後の庭木の手入れと整理、台風などでの荒天準備作業とかその後始末などになんとなく意欲が湧きそうにない。もう庭付きの家を自分の労力で維持していくのは難しいのではないかと不安になって来ていた。そこで私はマンション暮らしもいいかなと考えるようになっていたのだが、いろいろネットで賃貸物件を物色していたら最近あるところに気に入った物件があった。

そこで私たち夫婦二人で現地を見に行った。最寄りのターミナルに迎えに来てくれた案内の不動産屋の車で現地まで約1時間、周辺地域の様子を見ながら現地に向かった。現地に着いて部屋を見たのだが、やはりマンションというのは有効室内スペースは数字的には今の家と変わらなくても実用的にはかなり狭い。柱の出っ張りとか部屋のドアやクローゼットのドアが引き戸でないので開閉のためのスペースとかが実際使えるスペースを制限しているわけである。そうではあるが持ち物の整理は必要ということを理解すれば部屋としては納得出来るし、周辺のスーパーその他に歩いて行ける立地であることを確認できたので、不動産屋店舗に帰って一応申し込みをした。

その後、不動産屋が車でターミナル付近のホテルまで送ってくれると言うのを断って、市街地の状況を散歩がてら観察することにした。歩きまわって見たところだんだん気持ちが沈んできた。自分の生活する空間ではない印象なのである。交通量はあるがひとをあまり見かけないし公園はあるもののゆったり歩けるようなアクセス道路もなく、これでコミュニティが成立しているのか疑問になった。唯一JR駅への道の短い区間のみ並木付歩道のある道へと現在工事中で期待は持てたが、市街地全般にそれが及ぶには長い年月が必要な感じである。

鉄道で約30分のターミナル付近のホテルまで行ってチェックイン、夜になり寝て気になった現地の景色を思い返していたら頭に屋久島の自宅の窓から見える庭とその先の海の景色が自然に浮かんできた。そしてマンションのある市街地の景色への拒絶感がひしひしと湧き上がってきた。そこで妻を起こして申し込みをキャンセルしようと思うがどうかと私は言った。妻は私が決めたらそれに合わせてマンション住まいをする気でいたのだが、内心実用有効スペースの狭さに荷物をどう整理しようかと気になっていたということである。また妻の印象でも市街地は老人にやさしくない感じで気になっていたということである。キャンセルがいいよということになった。

私は屋久島のいまの住環境になじみ過ぎてしまったようである。妻はこれからは私が作業が負担になるときはひとに頼めばよいと言っている。子どもたちが私達夫婦の先行きについて心配をしてくれているというはなしについての私の解釈は、私に何かあったあと妻がどうするのかということにあるということである。私はそう思って屋久島では子どもや兄弟の家への行き来も簡単に出来ないのはまずかろうと、いまのうちにその問題解消のためにマンション暮らしに移行しようかと考えたのだが、いま二人で一気にそこまで行かなくてもよいということになったわけである。しかし私に何かあった後には妻が子どもや兄弟と簡単に行き来出来る環境が整っていると安心である。妻とのはなしでは今後徐々にそういう環境の整備をして行こうということになった。


(関連記事)
屋久島生活の断片・日誌編:
  No.255  やっと対面のこと  [2008(H20).11.24]
屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
  No.290  義理を欠くこと  [2008(H20).12.01]
. 
 
 
back
「My logbook : 屋久島方丈記」は、「 My logbook : 屋久島生活の断片」の
日誌編 と 偏見ご免のたわごと編 の 継続版です。
My logbook : 屋久島生活の断片」の ご案内
日誌編 と 偏見ご免のたわごと編 (2010.05.31までの記事)
屋久島釣り場案内
妻関連の「SpinCom」と「SpinCom Gallery」