屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.290 義理を欠くこと  (H20.12.01)

年金生活に入ってもう7年経過した。限られた収入に見合った生活をしていると、どうしても義理を欠くことになる。ところが現役バリバリの連中には高い自分の収入で出来る水準を基準に人のやり方を見るところがあって、表立って言われることはないが陰で私たちのやり方を非難したりするものもいるようである。しかし見栄を張ってまで義理を果たすことは出来ないから自分たちで出来る範囲で心を尽すしかない。そしてそれで批判されることは甘受するしかない。分かる人だけ分かってくれればそれでよいというのが私たちの姿勢である。

11月10日妻の母が亡くなって夫婦二人で葬儀に出かけたのだが、それまでは妻が見舞いに行くだけだった。私が見舞いに来ないとか陰で言っているのが耳に入って来たし、体裁を気にしてか葬儀には二人で出るのかと問われたりした。今回危篤の知らせを受け私は妻と二人で上京した。これは妻との間でそう約束していたからであり、私もそうするつもりでいたのである。

私は母が亡くなるまで行かなかった。しかし数年前母が動くのが負担になって来つつあったころ、妻が後で悔いることのないようにと、母が行きたいと言っていたその田舎・山形に連れて行ったり、結婚60年の記念にと両親を妻そして娘と孫娘でこれも母が行きたいと言っていた京都に連れて行ったが、私はそれをバックアップしてきたつもりである。その後病気が見つかり手術、そして家での静養、その後二回の入院、そのときどきやその間隙に妻が見舞いに何度も出かけた。私は一度も行かなかった。

私は、なるべく妻が自分なりに出来ることはしたと納得して後悔しないですむようにしたかった。そのためには私が行っても何の役にもたたないし、母も娘に何度も来てもらった方が嬉しいはずだから、夫婦で行ける回数より妻がその二倍行く方がよいと思って、私は義理を欠いたわけである。多分母はそのことは分かってくれていたはずである。

ところで、葬儀での妻の弔辞はすばらしかった。母の死顔が笑みを浮かべたようだったのでそれを引き合いに出しての弔辞だった。

今まで母のことを思い出すと浮かんでくるのは苦労していたときの下唇をかんでがんばっていた姿である。しかし亡くなった夜に着いて見た顔は笑みを浮かべているように見えた。残された父の身の振り方も決まりほっとしたのと、弟のお嫁さんはじめみんなに親身の世話を受け安心してのことだと思う。私はそういう顔にしてくれた皆さんに感謝の気持ちで一杯だが、母も同じ気持ちだったと思わずにいられない。そしてその顔はまた何も出来なかった私を赦してくれているように感じた。だからこれから後悔の気持ちを持たずに母を思い出すことができる。

という趣旨のことを母に語りかけた内容だった。私は妻が後悔することなく母を見送れたようなのでほっとしている。


 
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