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  たわごと編: No.112  
  2012.07.09 飼い主の鑑としての犬の品格  
 
  「犬の品格は飼い主の品格が決める」とある本の紹介コピーに書いてあった。むかしから犬は飼い主に似ると言われているが、その似るところは外観に出る顔つきや振る舞い方について主に言われるようである。それらは犬の気持ちの持ち方みたいなものも飼い主に似るようになることでそうなっているのではないかと思われる。そして顔つきや振る舞いと気持ちの持ち方を統合したものすなわち犬なり人間なりのあり方が品格と表現されるのだと思われる。

わが家の犬の品格が飼い主の私や妻の品格で決まるということは、犬を見れば私たちの品格が分かってしまうということである。いくらそとづらをよくしたりぶりっこしていても私たちの本当の姿が犬のあり方から透けて見えてしまうことになる。犬を飼えば賢く優しい振る舞いをする犬だと評価してもらいたいものである。犬は飼い主に褒められることを喜びとしている。そしてまた飼い主の行動や言葉から感情を読み取っている。私たちがどうすると褒めてくれたり喜んだりするのか仕草や言葉から学んで私たち好みの犬になろうとするわけである。つまりは私たちの喜怒哀楽の表し方や生活に対する考え方が犬のあり方に反映されてくるわけである。

良い犬だと評価されることはその犬の飼い主の本質がそう評価されることであるということになるが、自分の犬が良い犬だと言われたい思われたいということになれば自分自身の本当の姿が評価に耐えるものでなければいけないことになる。そういう思いから私たちはわが家の犬を鑑として亡くなるまでの10年余の月日を過ごしてきたわけである。つまり犬が私たちを鑑として生きる姿を私たちも鑑とする相互作用の中で過ごしてきたわけである。そして犬が褒められれば素直にひとの見ていない部分も含めた自分たちのあり方が褒められたのだと喜んできた。そういう月日はもう終わってしまった。

犬が亡くなって、私たちの本当の姿を写す鑑はなくなってしまった。外からは人付き合いが悪くとっつきにくく理屈っぽくて感情的な性格と見えるばかりになってしまった気がする。犬の姿に私たちの姿を透かして見てくれていたひとがどれだけいたかは分からない。しかし犬と過ごした日々は犬に対して自分を偽らず誠実に過ごしてきた日々である。というか犬が私たちの本当の姿に反応していると思って過ごしてきた日々である。それで私は自分のあり方が変わったような自覚はないのだが、犬と過ごした日々のおかげか妻には犬を飼う前より私の性格が良くなってきていると言われている。私が犬と過ごした日々、私は勿論だが犬も幸せだったその証拠がそれだったとしたらうれしいことである。


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