My logbook : 屋久島方丈記 
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  たわごと編: No.105  
  2012.05.28 生き物としての事実とひとの約束事  
 
  オバマ米大統領が今月初旬に放送されたテレビのインタビューの中で、かつての同性婚への慎重な姿勢を変えて、同性婚を支持すると表明したそうである。現職米大統領の同性婚支持表明は初めてのことで、再選対策との見方がないわけではないが、賛否半々の米社会での問題のみならず文化的影響もあることから大統領としての発言の意味は大きいとして話題になった。

私のこの報道を見ての感想である。遊びで同性愛行為をするものは論外として、私はひとが自然の成り行きで同性愛性向をもって生まれてくるのであれば同性愛性向を持つひとを社会で受け入れていくべきと思っているのだが、同性同士の結婚制度まで認めるのはちょっと抵抗を感じていたのである。結婚と言うことに違和感があるからである。私は結婚というのは子孫を得るためということと不可分な印象を持っている。なんとなく同性婚と聞くと本来の男女の結びつきという意味から離れる不自然さを感じてしまうのである。

私のこの考えは、伝統とか宗教的な立場の影響が高いものであることは自分でも分かっている。私が従来思っていた結婚というのは社会通念として出来上がってきた約束事みたいなものである。現実を見れば結婚という法的な手続きをしなくてもこどもを産んだり育てたりしているいるのだから、いわゆる結婚イコール子孫を得ることという定義は当たらない。だから男女が結びつけば事実上あるいは自然的な結婚であるというところまでは結婚の範疇であると思うことにあまり抵抗はない。そして内縁の妻とか非嫡出子とか法的にも想定されている。そういう認識でいたところ最近ある本を読んで、そういうふうに思っていることは政治的事実と言って人間がある目的でそう定めたものであるということである。人類にむかしは結婚制度はなかったが、ある時期から男が財産を継承させる子が確かに自分の本当の子だと思えるようにと結婚制度が出来上がってきたらしい。

それに対して生物学的事実として、ゲイ、バイセクシュアルなどというような性的性向を持ったひとがある程度の確率で生まれてくるらしい。そしてそれぞれが自分の直接の子孫を残さないにしても、人間が良い子孫を残そうとする働きに寄与しているらしいということである。自然的な存在理由というものもあるようなのである。いわゆる結婚というのは政治的な約束事であるが、例えば見方を変えて性的な結びつきが結婚であると言うことにすれば事実婚は言うに及ばず同性婚も実際に存在してきたことになるわけである。

そこで今回の感想の結論は、同性婚を認めるということは政治的事実と上記のような生物学的事実を一致させるもののようだということである。性的結びつきという生物学的事実と財産相続などを保証する社会的結びつきの政治的結婚が新たな結婚という政治的事実として統一されることを意味することになる。私はそういう新たな結婚制度が出来てしまうとしたら、異性と同性、同じことばかりではないだろうから異性婚と同性婚とのあり方規定は今後の政治的課題となるのではないかと思っている。私は男女の結びつき以外をいわゆる結婚と呼ぶことが不自然だという思いが消えないので、性的結びつきが異性同士の場合を従来通り結婚と呼び、同性同士の場合を「これこれ」と呼び名を変えて新たな同性同士カップリングの法的権利を定めていくのが良いかなと思っている。


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