|
|
2022年12月8日か9日、どこのテレビ放送だったかLGBTQのひとの自分の思いを表せない悩みなどを言っているところだけをちょっと見かけた。いまのところ私の知るところでは、科学が全てを解明していないが遺伝子の発現を制御するエピマークが胎児の性を制御する際に影響して同性愛などを生じるのではないかとの研究が最先端知見のようである。エピマークは通常は胎児が男の子の場合に男性化を女の子の場合には女性化を促すのだが、父親から娘にあるいはは母親から息子に遺伝することがあって、その場合胎児が同性愛者や性同一性障害、バイセクシャルなどになると考えられるということらしい。
私は高校生になったときある文系のクラブに入ったのだが、同学年の男子生徒も一人入部した。それで一緒に行動する機会が多くなったのだが、その男子生徒がだんだん私に身体を寄せてくるようになった。そして首に腕を回して絡みつくような振る舞いをしょっちゅうするようになった。私は気持ち悪いから止めろと言ってもすり寄って来るので、最後には怒って寄って来るなと絶縁を宣言したことがある。そして私は退部した。
その男子生徒がLGBTQに該当するかどうかは当時突っ込んで究明したことはないのだが、いま思えばそういう傾向の人間だったようである。私はそういう気はないし当時そういう性の機微に疎かったからただ気持ち悪くて嫌だったのだが、これもいま思えばそういう人間にすり寄られる雰囲気を感じさせていたのではないか、なぜだろうと気になったりしている。
まあそういう経験があった私が、テレビでLGBTQのひとが自分の思いを表せない悩みなどを言っているのを見ての感想だが、テレビでは偏見を持たず普通の人間として接しろと言いたいということだとは思うが、なぜ偏見を持たれるかということについてのLGBTQ側のひとの問題についてどう考えているのか気になってしまった。
私の経験では、LGBTQのひとが自分の性的志向に合うと思われるひとにアプローチするとして、その相手を受け入れてくれるひとだと分かってアプローチするのならその相手は何の違和感や嫌悪感を抱かないと思われるが、例えば私をそういう人間だと勘違いしてアプローチされたら私としてはアプローチして来た人間に違和感や嫌悪感を抱くと思う。現に私は高校生のときそういう気持ちを抱いたわけである。そしてそうだと分かっている人間を見ると、遺伝のなせる業だとは分かっていても自分とは違う志向の人間だと意識してしまうわけである。私の持っている偏見はそういう類のものである。
私の性的志向は自分は男性だから相手は女性でいわゆるノーマルである。人間男女大体がそういう志向だからそういう人間に違った志向の人間がアプローチした場合相手はどう感じるのだろうか。私の場合は経験から言ってあまり良い感じはしない。何を言いたいかと言えば、違う性的志向の相手にアプローチしなければ何も問題ないのだが、少数のLGBTQのひと達が違ういわゆるノーマルな性的志向の相手にアプローチするところに偏見が生まれたのではないかということである。私はアプローチされなければ、カミングアウトされても何の問題もなくただ自分とは違う志向の人間だと意識するだけである
(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
No.105 生き物としての事実とひとの約束事 (2012.05.28)
..
|
|
|
|