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  日誌編: No.104  
  2012.05.21  医療費窓口負担軽減のPRポスター  
 
 
ある医院に行ったら入り口に窓口での医療費支払いが健保組合への申請により限度額以上払わないで済むように出来るようになったというポスターが貼ってあった。従来から医療費の高額支払いをしたら後で限度額以上の分は健保組合に申請すれば還付されるという知識はあったが、今年から窓口で限度額以上を支払わないで済ませられるようになったということである。限度額は保険証単位(世帯単位)で所得などにより決められているらしい。またひと月単位、一つの医療機関が対象ということらしい。


私はまだお世話になったことがないが、高額な医療費がかかったとき窓口である限度までしか支払わないで済むようになったのは朗報だと思われる。しかし私はひと月単位は良いとしても一つの医療機関対象そして事前申請という縛りはない方が良かったのではという気がしている。ひと月単位で複数の医療機関で限度額以上支払わなくて良いことにして、健保組合で複数医療機関分を合算し限度額をオーバーしたらその分を後で還付してもらえれば助かる気がする。現実には複数医療機関にわたるケースは少ないと思われる。いまわが家の保険証は個人に一枚となっているが、それなら個人ごと限度額以上支払わなくて良いことにしてあとで健保組合で各人分も合算して限度額をオーバーしたらその分還付してもらえれば助かる気がする。こういうことは毎年交付される保険証に限度額を記載すればできそうなものである。

何を言いたいかというと、医療機関の不正請求や保険組合側の面倒な仕事を回避するためかどうか知らないが、利用者に申請義務など負担を強いるやり方では申請することを知らないでいる人は制度の恩恵を受けられないということが起こりそうな気がするからである。年金もむかしは自分から申請しなければ加入したりもらえるようにならなかったが、今は時期が来れば手続きの通知が来るようになった。制度に精通している方から起動するシステムになれば知らずにいても安心できるわけである。そいう意識があるから私は申請手続きを促すポスターを見て違和感を持ったのである。税は免れ得ないシステムとするに熱心だが、社会保障は漏れても構わないシステムで良いと言っているような気がしたのである。

最近ネットで見かけた記事に、臓器移植法が成立したが国内で提供件数がなかなか増えない原因について、日本では本人の同意が明らかでないと摘出手術が出来ないからという見方をあげていた。外国のなかにはなにもしなければ臓器提供に同意したとみなし参加しない場合だけ意思表示するようにしているところが何ヶ国もあってそこでは臓器提供率は100パーセントちかいということである。事前に本人が同意するやり方も事前に本人が拒否するやり方も本人の意思が尊重されるのは同じだがやり方で大きく結果が違うのは、ひとはどちらとも判断のつかないときはそのままにしやすく、どうしても意思表示しなければと思う人は少ないからということらしい。

この例では日本ではなかなか公言できないことだがと断わりながら、人間の本性を上手に利用すれば日本でも臓器移植が必要な患者が救われるようになるということを言っているのだが、ここでの人間の本性の利用のまずい例と同じようなのが申請しなければ恩恵は受けられない制度のような気がする。特別差し迫っていないと何もしないでやり過ごしやすい利用者に恩恵を受けるための申請を義務付けていると見えるわけである。利用者側に運用の面倒を負担させ利用も制限してしまう懸念がある。このようなポスターを貼ったりしてアリバイ作りをする必要のない、黙っていてもの対象者に良い結果をもたらすやり方・制度が望まれるわけである。

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