屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.319 屋久島(164):高齢者生きがい対策のこと  (H21.09.14)

町議会議員選挙が9月20日にあるが、その事前活動と思われるある党派の現職議員の政見ビラが配られた。そこに我が家には調査がなかったがその党派が実施したと思われる町民アンケートの結果が添付されていた。その中で町政への要望の第5位に「高齢者生きがい対策」が挙げられている。そして政見ビラの中の決意表明項目には「・・・・・・生きがい対策など高齢者が安心して暮らせる地域ネットワーク作りをめざします。」とある。私は両方の資料の高齢者の生きがい対策という言葉にちょっと引っかかってしまった。

そもそも生きがいとはなにかということである。また高齢者の生きがいとは何かということである。私はものの判断のつく最後のとき、それは自分ではいつか分らないと思われるが、そのときが良い日良いときと感じていたならば生きていて良かったということなのだと思っている。生きて甲斐があったということはそういうことである。そしていつが最 後か分らないのだから毎日が良い日と思えるように生きることが大切ということである。

ところで、町政への要望として生きがい対策を求めるということはどういうことなのかということである。生きがいとは与えられるものなのかということである。私に言わせれば生きがいとは自分で感じるものである。毎日が良い日とは言えないがそれでも生きていたいと思う。それでよいのではないか。自分が生きる価値があると思っているから生きている。生きがいとはそういうものである。

そういう思いがあるから高齢者生きがい対策と言われると、生きがいという抽象的な言葉に具体的な町政の不備・不具合への不満をすり替えている感じがするのである。そして抽象化された言葉・生きがいから導き出された対策の解が地域ネットワーク作りをめざすことだと言われると、何のことかと思ってしまうのである。

仮に個々人が具体的に生きがいと感じるものがあるとしても、その個々人ごとに異なる生きがいに対応する万能ネットワークなどないと思われる。具体的な問題の何をどうする、そのためにはこういうネットワークを作ることが解になるとブレークダウンしないと焦点がぼやける。私は耳障りは良いが中身の分らない生きがいとかネットワークという言葉に引っかかったのである。

さて、高齢者が不満を生きがいにこじつけて言うとしたらどういうことかと考えるに、私は生活不安の要素が大きいと思う。つまり生活資金の問題である、あるいはお金の心配をしないで済むことである。生活不安がなくなればあとはそれに感謝しながら自分のしたいように生きればよいわけである。それで毎日が良い日と感じられなければそれは自分のせいである。

生活不安ということになれば、問題は見えてくる。アンケートに見るように町政への要望の第一は国保税の引き下げ、第二は介護利用料引き下げ、第三は緊急連絡体制、第四は行政サービス改善である。定めしネットワーク作りとは第三の緊急連絡体制と孤独死への不安解消のための見守り体制整備、それは集落で取り組んでいるところもあるから人間関係に期待しない町政ということなら、費用含みでの医療・介護体制との連携の上でのものということになろう。

私が最も注目するのは第四の行政サービス改善である。生活不安の観点から見れば金銭的補助・生活保護・その他の支援などを受ける場合の惨めったらしいあるいは恥ずかしながらと引け目を感じてしまような申請方法や基準を改善してほしいということではないかと思われる。私も過去に保証人だったか当地にも住んでいない一族郎党の証明書だったかの要件の前に、国家が誘導した核家族化で家族は無いに等しくなったのになぜ困った個人にのみ注目した施策でないのかと、行動を起こす気持ちを失ったことがある。嫌で面倒なことが多いと思われる。

第一の国保税の引き下げと第二の介護利用料引き下げは生活に不安を感じるほどに金に不自由しているということであれば第四の行政サービス改善に包含される課題にもなり、第三の緊急連絡体制も私の言う方向性を持つということであればこれも同様範疇の課題になると思われる。


No.271 幸せを感じるときのこと    (H20.06.09)


 
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