屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.159 屋久島(90):いずれ起こること H16.10.25)

引っ越してきてもうすぐ満10年である。当初わが家が属していた班の区域は今では三つの班に分けられるほど移住者が増えた。大体は早期退職や定年退職後の人たちでなかには老親を伴っての移住者もいる。

年が経ってくれば、老齢層の老親が亡くなっていくことは当然の成り行きである。私の父もそのうちの一人で、何年か前93歳で亡くなった。移住当時のわが家が属する班区域にある家は20軒くらいだったが、その中で老親は既に4人亡くなった。この10年で大方の老親は亡くなっている。

ところが、今年の夏になって早期に移住してきた人の中に亡くなる人が2人出た。一人は単独で移住の男性、一人は夫婦で移住の奥さんの方である。この10年の半ばに奥さんが一人なくなったことはあったが、まだ老親で生存している人が何人もいたから、自分で移住を決めて移って来た世代のこととして意識することはなかった。

しかし、ここに来て近所で移住者同士として言葉を交わしてきた人が亡くなると、いずれ自分にも起こること、避けられないことだと意識するようになる。自分たちの意思で移住して来た私に近い年代の人たちもそういう感慨を持ったものと思われる。

そして私はといえば、今年学友が一人亡くなっていることもあわせ、なんとなく自分が死んでも困らないようにしなくてはいけないような気がしてきたのである。いつだか新聞に出ていた遺言のすすめの切り抜きを見て、そのうちあるいは死が告知されたら公証役場でそれを証書にするつもりになって、遺言書原案を作成してみた。私が死んで困ることがあるとすれば妻の経済問題しかない。たいしたものもないのだから最大限困らないようにするには、全財産を妻に相続させる。子供たちは妻が亡くなったあとで残ったものがあれば分ければよい。そんな内容にするしかない。一応妻には見せてある。


 
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