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					9月27日のNHKのクローズアップ現代という番組でコーチングについて取り上げていた。技術者上がりの社長が社員とうまくいかない。社員を信頼せず何でも自分でやって任せられない。仕事は社長のキャパシティを超えられない。そこの社長がコーチングを受けて気づいたのは、技術者としてではなく経営者としてどうあるべきかを考えなければということだった。 
					 
					もう一例の社長は自分の言うことが社員に徹底されないと言う。コーチが社長の挙動をビデオ撮影したのを見たら、一方的に自分がしゃべるだけで社員の言うことを聞いていない。それで社員から信頼できないと不安がられていたからだと気づきコミュニケーションの改善を図ることになった。コーチングとは問題の解決法を教えるのではなく、自分の何が原因でその問題が起こっているのか気づかせるもので、問題の解決法は自分で考えるものだそうである。 
					 
					この番組を見て、最近聞き及んだ出来事に通じるところがあるかな思ったのである。私がコーチングを云々するほどの人間ではないのに言うので気が引けるのだが、コーチングを受けるに似たことがあったならば結果は変わったかも知れないという気がしていることである。それは以下のことである。正義を主張したが通じない一人相撲をとってしまったと私が見ている人のことである。 
					 
					屋久島に移住した人が、町の改革などに客観的、大局的そして構造的に突き詰めた主張を続けてきたがその主張がごくわずかな人にしか理解されず、自ら何もせず自分のことしか考えないその他大勢の中に自分が埋没していくことになるのは嫌だと、屋久島を出て行ったのである。本人の挙げる包括的理由には理念や目標の喪失といったことが大きいとある。 
					 
					私は町の変革を望むものであるから主張については共感するところがあったが、その表現の仕方などには少し気になる点があった。改革をしたいという情熱は分かるのだが、事を成すにあたって自分がどうあればあるいは自分がどう変われば自分の主張が理解されあるいは自分が信頼されるようになるのかを考えることも少しはしたらよいのにという気がしていたのである。言っていることの正否すなわち正義か否かは分かっていても、それを言っている人を理解し信頼し得ない限り行く末を託すに不安があるというのが多分田舎の普通の人である。屋久島を出ていく決断をする前に考えることは残っていたのではと残念に思うわけである。 
					 
					参考までに「屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編」でその人の表現の仕方などに持った気がかりに直接あるいは間接的に通じる感想部分もあるかと思われる記事を以下の(関連記事)に挙げておく。 
					 
					(関連記事) 
					屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編: 
					 No.303 落下傘候補のこと  [2009(H21).04.28] 
					 No.328 丈夫でないこと  [2009(H21).12.29] 
					  
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