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  たわごと編: No.19  
  2010.10.18 検察特捜と検察審査会  
 
  小沢氏が検察審査会で起訴相当と決まったということを聞いてどういうことかと考えていたのだが、どうも事件と捜査や起訴というものの関連についてよく理解できないでいる。一般には事件があって警察が捜査をしそれなりの証拠をあげて容疑者を逮捕し、さらに取調べをして容疑が固まれば送検する。検察は警察の集めた証拠・調書を調べ、追加調査・取調べをして起訴・つまり裁判にかけるか不起訴にするか決定する。容疑者は起訴されれば被告と呼ばれる。私は実際を知らないがTVニュースやドラマなどによれば一般の事件は多分そうである。

ところが、地検特捜というのは、どうも事件を作るところから始めるらしい。事件である、つまり実際に何らかの悪事の痕跡が明らかでないが、なにかありそうだという直感か何かで事件を仕立てようとするようである。専門家の監視や調査で犯罪の兆候(殺人事件で言えば死体のような犯罪の痕跡)が見つかったら事件ということになるのだと思っていたら、地検特捜ではなにかありそうということで事件にしていくようなのである。

そこで私の疑問は、地検特捜の言う事件は本当に事件なのかということである。検察は検察出身のTVコメンテーターがよく言う法と証拠に基づき結論を出すというところなら、検察官がどういう根拠でまず事件と認定したのかはっきりさせるべきである。殺人事件の死体のような犯罪を犯した痕跡があるのかないのかという、事件捜査着手の根拠をはっきりさせるべきである。どういう事件なのかはじめにはっきりさせないと、直感あるいは思い込みだけで捜査して当てが外れれば冤罪事件をつくっていたということになりかねない。あるいはなんらかの(例えば政治的な)意図を持って事件をしたてることも、国策捜査という言葉もあるからにはあるかもしれない。

私は地検特捜の捜査部分については警察に移し警察特捜として捜査・逮捕・送検までとし、検察は警察特捜の捜査をチェックし起訴・不起訴を決定し裁判を担当するようにしたらどうかと思う。警察特捜は情報監視をルーチン業務として犯罪の兆候をつかんでから捜査を開始することにすれば、事件を自分で探し捜査をし起訴しなければならない地検特捜の特性から事件が見つけられなければ無駄飯食いと言われかねないと検察エリートが焦り暴走することもなくなるのではなかろうか。普通交番のおまわりさんが成績を上げるために事件をつくることはないように、警察特捜は情報監視のルーチン業務を通常はこなせばよいと思われる。捜査開始するときはベテラン捜査員で捜査本部を立ち上げればよいと思われる。

次の疑問は、なんか怪しいと取り上げた事件を地検特捜が起訴しなかった場合、すべてのケースが検察審査会の審査請求の対象なのかどうかということである。検察は一般事件において警察がする捜査活動レベルで事件にしなかったのか、逮捕したが送検しなかったレベルなのか、一般事件で送検されたが検察が不起訴にしたレベルなのかによって判断が分かれると思われる。私としては、送検されたが不起訴にしたというのに相当しない限り検察審査会の対象にならない気がするのである。

小沢氏の場合、政治家としてあるいは道義的に責任はあるのかもしれないが、司法的には逮捕もされていないのだから警察が送検しなかったレベルのように思え、検察審査会の対象にはならないのではないかという気がしている。さもないと直感で検察特捜に疑われ事件が成立していないのに、底意のある輩が故意に検察審査会に審査請求して特定人物を抹殺しようとすることが起こりうるので制度として危険である。

次に、検察審査会についての疑問である。まず裁判に提訴する原告と同様請求者は公開されるべきである。底意のある輩あるいは団体に悪用されないようメディアや市民感覚にさらされるようにすべきである。また委員についても裁判員同様顔が見えるようにすべきである。裁判員は裁判所で顔が見える。審査会委員も顔が見えるようにすべきである。市民感覚というものに何らかの責任を負わせる必要がある。

また検察審査会の市民感覚による審査ということは、証拠と法に基づき判断するという起訴・不起訴の検察判断の何を審査するのかという疑問もある。起訴という判断を否定しようとすれば証拠不十分か該当する法の要件を満たさないか、あるいは不起訴という判断を否定しようとすれば証拠は十分で該当する法の要件を満たすということを審査するのか。その辺のプロの証拠調べや法の要件認定の適否を論じるのは素人にはかなり難しく思える。

そこで、市民感覚で審査するということは、多分検察感覚の裁量の範囲を見極め、検察・不起訴の場合は起訴側に寄れるあるいは検察・起訴の場合は不起訴側に寄れる理由があるかどうか審査するというのが市民感覚の検察審査会の役目ということになるのかなと思えてくる。私の印象では、検察は起訴したら有罪とするために綿密な捜査・調査(あるいは証拠改ざんまでする可能性もある)をしているはずである。不起訴にしたということはそうしようという情熱を以てしても有罪にする自信がないということである。そして冤罪という観点から見れば、不起訴は安全サイドである。

冤罪になることがあるとすれば起訴の場合だから、検察の起訴判断についてだけ検察審査会で審査することにしたらよい、と私は思う。特に今のような証拠改ざんや冤罪の危険が比較的ありそうな事件認定・捜査・起訴一貫体制の地検特捜が扱う事案については、起訴判断の場合のみ検察審査会の審査対象にしたら良いと思う。もし検察審査会委員の市民感覚がメディアその他に無意識にであれ情報操作されたものであった場合、起訴判断については異議ありとなっても安全サイドだが、不起訴判断についての異議は人権を侵害したり冤罪を招く危険を含んでいる。市民感覚は大事だがその危うさにも気配りすべきではないかと思うのである。

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