My logbook : 屋久島方丈記 
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  日誌編 (with photo) ・ 偏見ご免のたわごと編  
  たわごと編: No.15  
  2010.09.20 「農村・第三の道」論を見て  
 
  日経新聞のオピニオン欄「インタビュー領空侵犯」でカルビー相談役・松尾氏の農村は「第三の道(1:市場経済だのみ、2:公共事業だのみ、以外の道)」を目指せという意見を読んだ。自給自足、地元産品を地元で加工し付加価値を上げて地元で売る方が地元に金が多く落ちる、工夫して地元の魅力を高めそこに移住者したいという人がでてくれば、田舎は生き残れる。そのためには美しい田舎にすることである。美しい田舎とは、地元で景観や文化を守る、それに協力したいと思わせる田舎である。そして田舎での暮らし方は移住者の好みに任せれば、彼らは田舎の魅力を彼らの目でさらに開発してくれる。というふうに私は読んだ。

屋久島では自給自足には農産品・海産品その他十分でない(まともに島内野菜や魚などを種類も含め量的に通年安定供給出来るかどうか定かでない)と思われるが、参考にするとすれば屋久島が生き残るには、地元はそこに移住者したいと思わせる努力をせよ、移住してきた人には地元の都合を押し付けずしたいように暮らさせよというところかと思われる。それを地元の経済政策・産業の一つと思えばよいのだという印象を持った。移住者にお金を落としてもらうことも屋久島の商売の一つであると地元が思えば新たな発想も生まれるかもしれない。

私は移住してきて今の地元は結構移住者に対する対応がよいところだと思っている。しかしたまに話した人の中には田舎暮らしを望む人についての誤解があるように感じたこともある。田舎はいいでしょうというはなしの中に、今あるまたは今までのそこにあった田舎の生活様式も含めたすべてが好きなはずというニュアンスが含まれていることがあった。そういう時は自分なりに田舎についての思いはあってすべてに満足して移住してきたわけではないので、気分を害されないように否定はしないでいたものである。

田舎暮らしについて、以下私の希望みたいなものである。田舎の自然環境がよいことは望ましい。美しい景観(美しいインフラと家並み)の田舎に住みたい。田舎にいても文明の利器は活用したい。住い方や食生活は自分の好みを通したい。医療環境で心配したくない。田舎の伝統文化は尊重するが、強制されたくない。というようなことである。そこで例えば私のような美しい村で美しい生活を安心してできることを望む人間を都会から移住者として呼び込むには、そういう思いを理解することも必要かなと思うわけである。商売相手の望みを知る必要があるわけである。

私の好みで言えば、外観・たたずまいや内部のアレンジ、従業員の振る舞いの美しい店は良い店である。そういう店にはまた行きたいと思う。屋久島移住者で事業をしている人の仕事と言えば、目につくのは民宿、飲食店が殆どである。そして流行っているように見える。地元もそれらの特徴から学んで対抗できるようにアップグレードが必要になってくると思われる。地元の民宿や店で評判の良いところはそれが先行しているということかと思われる。

また街の美しさのグレードアップも必要かと思われる。屋久島にも景観条例があるようである。そういう対象になっているのかどうか知らないが、草がよく生え木の枝もよく伸びる南の島では道沿いの草払いや枝切りなどは頻度高く定期的にやらないと通行に不快である。県道は県道事務所がやっているのか比較的回数が多いがそれでも草や枝が伸び放題になることがある。

農道の草払いはその直後しか効果はなく年一回の住民出役制度は形骸化している。公共事業化し作業班が里道も含め通年循環的に何度も実施したらどうかと思われる。そして個人の家周りについては、県道・町道、農道・里道沿いでは敷地の内側を綺麗にするだけでなく通行する他人のために敷地縁の道側から見た草木の整理も景観だと思って個人個人に気配りさせることが必要だと思われる。(私の経験では敷地内外の草木を綺麗に整理するにはかなりの努力が通年必要である。それが無理な老人のみ世帯などには区費で人を雇うなどなんらかの補助も必要かと思われる。)

また屋久島の主たる交通機関は自家用車である。店舗や商店街、公共施設に駐車場が十分なスペースが確保されていることが必要である。最近の大型店は整備されているように思うが、まだかなりの散在する店や商店街、銀行などでも不十分なところがある。

以上私が気になっていることの一例だが、それらに対する施策は観光対策にも通じると思われる。屋久島で移住者や観光客に金を落とさせるには、要は、住みたいと思わせる田舎・行きたいと思わせる観光地にすることである。移住者については、自分たちの生活様式・伝統文化その他の自己都合の思惑を押し付けず、地元にお金を落としてもらうにはどうすればよいかを考えることである。地元の生活様式・伝統文化は地元が熱意を持って守っていれば、その価値を認める人たちも出てくる。

ということで、私の「農村・第三の道」論を読んでの感想をまとめれば、屋久島が生きていくには移住者や観光客の望みをかなえることで地元にお金を落としてもらうことが重要である。地元都合や有識者の意見を求めるより、まずは移住者や観光客の希望、したいこと、観たいこと、感じたいこと、困ることなどを調べることが先決である。そしてその実現をはばむ障害を乗り越える方法を考えることである。地元・屋久島が屋久島で生きていく商売という観点に立てば、いわゆるお客様第一義でということにつきると思われる。そこで妻曰く、特に今は軽視されているように見える女性の見方をもっと取り入れていけば新たな道が見えてくる、とのことである。

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