屋久島生活の断片・日誌編
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No.241  マリア岳のこと(2)  H20.05.05)

2000年(平成12年)10月15日の「屋久島生活の断片:No.24・マリア岳のこと」で、妻が知人から聞いたはなしを紹介した。その知人がイタリアで屋久島の小島にあるカトリックの教会・シドティのサンタ・マリア教会のイタリア人神父と会ったとき、神父がモッチョム岳のとなりにキリストをやさしく抱く姿のマリア岳が見えると言っていたというはなしである。

耳岳・キリストをやさしく抱く
マリアの姿に見える
私が思い出した聖母子像の絵を
重ね合わせてみるとよく合う

屋久島南部のシンボル・モッチョム岳に連なる山・耳岳がその山である。そのはなしを聞いた当時、神父は教会から見た景色をそう言っているのだと思いこんで妻と小島の教会近くまで行ってみた。モッチョム岳の左に見える山頂をそう思ってみるとそう見える。だがなるほど確かにと言うよりは言われてみればとそう見えるという感じであった。知人に言われていなければそんな気にならないが、それでも妻とあれはマリア岳だと言ってしばらく面白がったものである。

その後何年も経ってほとんどその呼び名を意識しないようになっていたのだが、この一月末のある日の午前尾之間の役場の前の道を歩いてときのことである。山にかかっている雲がめまぐるしく変化するのが面白く山の方を眺めていた。そうしたら薄れ途切れた雲間に耳岳が見えたのだが、そのとき瞬時にかつてのはなしがよみがえって、これが神父の見たマリア岳に違いないと思ったのである。多分神父も尾之間の方向から見た耳岳の形に強い印象を受けたのではないかと思われる。

私が聖母子像と言われて頭に浮かぶのは優しく美しいマリアで有名な絵である。以前はマリア岳と言われても言われてみればという感じだったのだが、今回はその絵を思い出してしまった。耳岳というのは山頂の二つの丸い大きな岩が見る方向によって耳介と耳朶に相当する耳に見えるということから名付けられたと思われるが、見る方向によっては聖母子像の二つの頭部にも見えるわけである。見る位置や時間を変えればもっと母子の関係位置がよくなったり陰影の印象がよくなったりするかもしれない。

No.24 マリア岳のこと (1) (H12.10.15)
No.242  シドティ上陸場所のこと (H20.05.05)


 
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