屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
                     Home > 目次_top  >  記事

No.299 屋久島(156):地縁血縁のこと(2)  (H21.03.25)

以前から町の不具合問題が出ると町長多選の弊害だとか町議会の機能不全だと言われ、そういう状況を作っている主要因として町長や議員選挙で地縁血縁が幅を利かしていることが指摘されたりしている。私はそれを聞いてはなんとなくおかしい感じを持ってきた。地縁血縁批判はおかしいという感じがしていたのである。

世間ではよく選挙で企業や業界団体や組合が組織ぐるみで特定政党とか人物を応援する。選挙に直接金を出しているのは見たことはないが人を動員して選挙活動をすることはよく見てきた。あるいは何とかを推進する会とか何とかを正す会とかいうような何らかの主義主張を掲げる人たちで組織された団体もその主張を推進してくれる政党や人物を応援し選挙活動をする。企業や業界団体や組合あるいは何とかを推進する会とか何とかを正す会あるいはまた同窓会のような団体組織は入社・入会・参加・入学で仕事や活動の場を同じくするあるいはしたという意味で地縁的なものである。

企業や組合などの団体では従業員は組織の決定に従って自身が投票行動をとる。選挙活動ではその従業員の地縁血縁を駆使して票集めをする。企業や組合などの団体の便益が図られるとつまりは従業員自身もそれで潤うからである。また何とかを推進する会とか何とかを正す会などの団体も構成員はその地縁血縁を駆使して票集めをする。その主義主張を推進してくれれば構成員の便益となるわけである。

私の経験では選挙の票集めはほとんどが地縁血縁によるものである。その場合の地縁血縁は票集めの手段のひとつである。票を集める意思は企業や組合などの団体あるいは何とかを推進する会とか何とかを正す会などの地縁的団体にある。そしてその働きかけで応援をすることにした地縁血縁者は勧誘された消極的賛同者であって直接自分たちの便益実現を求めている人たちではない。

ところが当地で批判対象に挙げられる地縁血縁と言われるものはそのあたりと大分性格が違って、いわゆる前述のような団体を組織できない普通の地域住民があるいはそこに住む親類縁者・血縁者が集まり協力して特定の人物を応援して自分たちの便益を実現してもらおうとしていると考えられるものである。つまり自分たちの便益実現のための行政をしてもらいたいという自分たちの意思を直接表明するための手段となっているわけである。

ということで私が思うのは、企業・組合やその他の団体のように明確な団体を構成していれば地縁血縁に応援を求めるのは良くて、明確に団体を構成し得ない弱い地域住民やその親戚縁者が意思を表明するために自然発生的に集まるのは悪いのかということである。悪いと非難することはそれすなわち民主主義の否定につながるのではないかという気がして仕方がない。民主主義政治で政治家がやることは自分を応援してくれる人たちの主張を実現することである。非組織者が誘いあってあるいは個人個人が自分の意思で集まって政治家を応援することを否定することは民主主義政治の成り立ちを否定するようなものである。

選挙で選ばれた権力を持つ政治家が公共の利益にならないことをやった場合、問題にすべきはその政治家とそれに連なる組織である。そして可能なら訴訟やリコール運動などの活動ででも彼らの責任を追及すべきである。しかし地縁血縁に頼る地域住民の大半は自分たちの主張を実現してもらいたくて問題を起こした政治家を選んだにすぎない。その判断には問題になることや問題を起こすようなやり方を許容することは含まれていないはずである。

民主主義の選挙では多く得票した人物が当選する。だから状況の変革を望んでもただ問題の追及や問題政治家の非難をするばかりではなかなか状況は変わらない。変革する人物を立候補させ当選させることが必要である。つまり問題を起こした人物あるいはそれに類する人物が次回選ばれないようにすればよいわけである。多分そうするしかない。

それには地域住民の大半の主張を実現しようという人物あるいは地域住民を新たな主張で啓蒙して大半の賛同を得られる人物の立候補が必要である。地域住民の主張を理解し実現する意思を示めさなければ地域住民の応援は得られないからである。そしてまた他に票集めの手段はないから地縁血縁を駆使してでも応援の輪を広げなければならない。

もし地縁血縁を批判する人たちの仲間あるいは彼らの押す人物が立候補することになっても、彼らはその人脈のつながりで応援の輪を広げる活動をするはずである。結局は人脈つながり(すなわち別の表現では地縁血縁)以外に他人とつなぎを取る方法はないのである。そうしなければ票読みは出来ない。問題政治家を生む元凶だと批判している地縁血縁を利用しなければならない矛盾に直面することになるはずである。

理想と正義追求のスローガンとして響きのよい地縁血縁批判をすればするほど、自分たちは人脈活用を自粛しなければならなくなるから選挙活動の幅は小さくなる。そうなれば多分実績があいまいであっても今まで地域住民の望み実現に努めてきたと主張する問題を起こした人物あるいはそれにつながる人物が選ばれる可能性が高くなる。
 

No.253 屋久島(139):地縁血縁のこと(1)    (H19.10.08)
No.256 屋久島(140):ネットで見た町長多選のこと    (H19.11.19)


 
 Home   back