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  偏見ご免のたわごと編:  No.057
国会の質疑をながら見の印象_因果応報 2021.02.05
  国会が開催されての予算委員会などの質疑をテレビながら見しての感想だが、コロナ関連で追及される様子を見ていると、政府は定められた制約の中でやれることをやっているのではないかという印象である。

いまの政府が何の制約もなく一番効果的な措置を講じられると仮定すれば政府が強制力を持って国民の行動や民間の活動を制限し従わないものは厳しく取り締まればよいわけである。そしてそういう措置の決断や成果の当否について国会で質疑・追及されればよいわけである。

しかしながら、野党などは政府が強い措置をとれない制約があることは分かっていて、強制力と同等並みの強い措置をなぜしない、なぜ国民や民間が政府や行政の言うことを聞かないか、それは政府のやり方がまずいからではないかと追及するわけである。国民や民間は政府が対策や措置をするもので、自分たちはそれを押し付けられるものだという意識が強い。

メディアなどではこれこれが問題だからこうしろこうしろと大声で主張して、それが実行されるとまたそれでこういう影響を受けるところがあって困った問題だと煽る無責任体質である。どんなときにも政府や行政のあら探しをして問題を煽ることに執心して、どう正しく状況を見るか、どう真実を正しく伝えるかよりは自分たちの存在感を示すことが使命と思い違いしている感がある。

こういう状況に頭に浮かんだのはケネディ大統領の就任式の言葉である。その文脈は別にしてネットで見たその部分を文字通りに見ての、「あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。」という言葉である。

政府や行政はいまの与党や野党やメディアのひとたちそして国民そして彼らの先達がいままでに国のあり方を選択して来た結果、すなわち自分たちが選んできた国のあり方の元で動いているのがいまなのである。そして国民や民間は政府が対策や措置をするもので、自分たちはそれを押し付けられるものという意識にどっぷり浸かっている。そういう中でその言葉は、何をさせられるかではなく何をするかを自分たちも考え提案し出来ることをやることも期待されていることを思い出した方がよいと言っていると感じさせるのである。

補足1: 
なにやっているんだと言いたい気分
2021.04.19
4月18日当地屋久島でコロナ患者が出たという役場の情報が流れた。鹿児島県の情報を見ると愛知県で陽性になったひとの濃厚接触者として調べ17日に判明したらしい。本人(70代男性)の濃厚接触者は親族1名となっていたから、それは奥さんかも知れない。
それにしても国あるいは国会は昨年緊急事態を発したときから、コロナに限らず次あるいはそのあとあるいは将来緊急事態が発生したときはどうするのか論議し、必要な体制が取れるように政府の非常時権限やその他、例えば医療関係なら医療体制・施設とその運用やワクチンの確保や緊急摂取体制そしてまた研究体制など、非常時体制について何も決めずまたしてて来なかったような印象である。コロナについて言えば、みんなに10万円配る金があったらそれをそういうことにつぎ込んでいた方が効果的だった気がする。いま変異ウイルスへの対応に右往左往の様相であるが、菅首相が先日米国訪問で台湾情勢に関与を強める意向を表明して台湾有事で異常事態も起こり得る状況になっている。異常事態対応について発生したらそのとき考えるということでは間に合わない。そういう問題意識を持ってやってもらいたいのだが、なにやっているんだと言いたい気分である。

補足2: 
それこそ政府や国会の最大課題_膾を吹かず取り組むべし
2021.04.24
コロナウイルス変異株が猛威をふるいそうな状況になりつつあるようだが、昨日政府は25日からの三回目の緊急事態宣言を発することを発表した。その記者会見において、出来ることは何でもやると言っていたのに新型コロナウイルスの病床数はなぜ一向に増えないのかという質問に、総理は政府の権限というのは現在、お願い、要請ベースでしか出来ないようになっている。緊急事態に対応のため緊急事態の際の特別措置の法律を改正しなければならないと考えていると回答した。この発言は感染症パンデミックに限らず、緊急事態にどう対処すべきか、、緊急事態となりうる事象を洗い出してそれらの対応が出来るように平時に体制を整備し、緊急時のそれらの運用の権限についてはっきり決めておく必要があるということを表明したものと私は受け取っている。それこそが政府や国会の最大課題ではないかと思っている。

補足3: なぜコロナ患者が少ないのに英米と比べ医療ひっ迫
2021.08.08
今日テレビでワイドナショウを見ていたら、なぜコロナ患者が少ないのに英米と比べ医療ひっ迫するのかという話になって、コメンテーターが病院運用に政府がお願いベースでしか対応できないのは、政府が強制力を持てるような法改正をしようとするとそれに反対する者がいるからと説明したら、それは誰だと聞かれて口を濁した。コメンテーターは直接権限を行使しているものを示唆したのかも知れない。多分直接関係するものとしてはそれは当たっているかもしれないが、おおもとは国民にあると私は思っている。例えば国民が医師会をバックにした議員やリベラルあるいは左翼や野党の現実を見ないでただ人権を制約するのはよくないとか国家が統制するのに反対とかいう人権活動家や彼らをバックにした議員などを選挙で選んできたのは国民である。いまの日本は自分たちが選択してきた結果としてあるわけである。因果応報というわけである。


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  No.051  羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いて来た_その結果がいま  (2021.01.04)

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