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3月8日付の人民網日本語版の記事によれば、全国人民代表大会メディアセンターで王毅外交部長が記者会見を行い、歴史問題については中日関係に常に影響をもたらしてきた問題だが原因は一体どこにあるのかと言って、中国のあるベテラン外交官の加害者が自身の責任を認識するほど被害者の傷の回復が可能になるとの主張を挙げ、その言葉は人間同士の正しいつきあい方だけでなく歴史問題に対する正しい態度をも示していると言って、いまの日本の政治家がこの歴史問題にとっている態度に原因がある。70年前、戦争に負けた日本が、70年後に再び良識を失うべきではない。歴史の重荷を背負い続けるのか、過去を断ち切るのか、最終的には日本が選択しなければならないことだという趣旨のことを述べたそうである。
いまの中國(中共)が日本と戦争し勝ったことはないが、かつての中國に取って代わった国として日本に勝利したという言い分は認めてやるとしても、勝ったからといって言いたい放題というのはいかがなものか。勝って言う正義は勝者の都合であることがある。記憶にある例では、フセイン政権を滅ぼしたイラク戦争を始めた核武装を進めているという理由は後になって濡れ衣であったことが分かった。そして濡れ衣を被せた側が勝った。戦争というのは勝った方の言い分が正しかったから勝ったのではなく、戦略や戦力で優ったから勝ったというのが真実の姿だと思って見た方がよいのである。
勝てば自分たちを100%正当化し相手に自分の意志を強要できる。戦争責任が相手にあるとして相手を裁くとか負けた相手を処刑するなどということはむかしからやられてきたことである。それが戦争である。その時代の人間がその歴史を云々するとき、勝った側の論理が支配する中では勝った側の発言の何%かに反する言い分さえ押さえ込まれる。だから敗者の側は評価は後世の歴史家に任せようと言うわけである。そして過ちは過ちとし認識の間違いは間違いとすべく、いまの歴史認識をもたらした証拠を検証し後世の研究と評価に耐える事実を残す努力をするしかないわけである。それを粛々とするしかないのである。
日本は戦後、勝者の論理による東京裁判を受け入れてやって来た。その前提となる歴史認識についてはそれを前提にしてやって来たわけである。その歴史認識に支配される世界の中に生きていかなければならない現実に対応してきたわけである。またその現実世界を覆す意志はないわけである。そういう70年の歴史を中國は知っているのに、日本がその70年の歴史を覆そうとしていると非難し始めたのには何らかの意図があると見た方がよい。日本が警戒心を持ち備えるのは当然のことである。勝者側・中國は言いたいことを言うがそれに反論しようとする敗者側・日本に歴史認識が問題と責めて口封じをしようとしていると私には見えるわけである。イラク核武装の濡れ衣みたいなものかもしれないのである。私はその方が気になるのである。
補足: メルケル首相来日の目的は
報道では突然のごとく決まって来日中のドイツのメルケル首相が講演か何かで戦後70年談話がらみで日本を牽制するような歴史認識問題に関する発言をしたそうである。急遽来日決定の理由はウクライナ問題で日本の支援要請というのが本筋と思われるが、その発言は中國あるいはアメリカの意向を受けてのことではないかとの見方も出ているようである。
(2015.03.14 追加: メルケル首相来日の真意は)
メルケル首相は6月にドイツで開かれるG7の議長国として訪日した。その真の目的は安倍政権へのこのままでは主要国に見放されるぞという忠告のためという見方も出ている。そう言えば、エコノミスト誌「2015 世界はこうなる」の主要国首脳が描かれている表紙に安倍首相が載っていなかったというネット記事を見たことがある。私も歴史認識にのめり込んで日本を孤立させないようにとは願っている。
(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
No.269 中國の言う日本が背負っている歴史の重荷 (2015.03.01)
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