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テレビ土曜朝の阿川佐和子のインタビュー番組では、はじめにゲストの「思い出の中で今でも輝いている曲」を流す、終盤には「今、心に響く曲」を流す。そのTV番組を見ていて自分はどういう曲がそうなのかと考えるのだが、そういう感じの曲が思い当たらない。私は最近あまりCDなど聴かない。DVDなども見ない。年をとって来たせいか何もせず聴いたり見たりする時間がもったいない感じがするのである。掛けた時間の割にはあまり得るものがない感じで見たい聴きたいという欲求が湧き上がらないのである。
CDなどで音楽を聴くことは稀になったが、昨年から老化防止にもなるかとハーモニカを始め毎日のように練習あるいは吹くのを楽しむようなことをしている。私には自分が聴いたことのある曲でないとなかなか吹くのは難しい。音符を見ただけでは音程や長さが上手くイメージ出来ない。知っている曲のメロディーをなぞるように音符を吹くということを繰り返して、大体この音符の音はこうだと憶えると自分なりに吹けるようになる。いまは毎日夕方に中島みゆきの「時代」、井上陽水の「少年時代」、高橋真梨子の「五番街のマリーへ」、さだまさしの「北の国から」、五木ひろしの「千曲川」を練習がてら吹いている。誰のと私がその曲と結びつけている名前は作曲家であったり歌手であったりして一貫性はないが、その名で曲を聴いた印象が残っているからである。
これらの曲は楽譜集の中で私に吹きやすいものだが何か心情的に私に合うところがある。「時代」、「少年時代」、「五番街のマリーへ」は歌詞とメロディーが、「北の国から」と「千曲川」はメロディーが、私にしっくり感がある。私は過去の自分の考え方や振る舞いを恥じて生きているところがあって、普段はむかしのことをひとに話したくもないし話題にもされたくないという思いで過ごしている。しかし恥じ入ることの多い過去のことをひとり思い出すときがないことはない。悔やんだり懐かしんだりする思い出が浮かんでくる。そして最近ハーモニカを吹いていて、その中でもむかしペドロ・アンド・カプリシャスで高橋真梨子が歌うのを聴いた「五番街のマリーへ」の歌詞がそのときの心境に似ているという感じがしているのである。むかしから無意識にそういうところを感じてその曲を憶えていたのかもしれない。
むかしマリーと暮らした思い出の街にいくひとにマリーがどう暮らしているか見てきて欲しいと頼むのだが、街のひとに聞いてマリーが幸せに暮らしているということなら会わずに帰って来て欲しいと言う。それが歌詞の概略である。私もむかしの思い出をたどりたいと思うときがないことはない。楽しかったこと、悔いを残すこと、恥ずかしいこと、いろいろ思い出すことはある。そして恥じ入ることばかりが膨らんで来て次第に沈みがちな気分になる。だが歌は、いまが幸せならば気がかりは気がかりとしてその思い出を懐かしむ心境で生きていければそれはそれで良いのだと言っているようで、そういう感じのところに私は共感するところがあったのではないかと思われる。思い出の中で今でも輝いている曲というわけではないが、惹かれるところがあったようである。
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No.243 クロマチックハーモニカと保温保管器 (2014.09.15)
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