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  たわごと編: No.254  
  2014.11.24 11月23日は勤労感謝の日だったが_働き方について  
 
  何年か前(多分2012)にTV番組で、無くなってもその機能を他がを補完する遺伝子あるいは細胞の仕組みのはなしなどを見た。またその後しばらくしての番組では仕事における働き方を取り上げているのを見た。そしてそのとき、先の番組を思い出しそれらの話題をこじつけた感想を書いたことがある。こじつけ感を恥じていままでそのままにしてとっておいたのだが、勤労感謝の日にちなみ恥ずかしながらその感想を以下に紹介してみる。

(以下紹介本文とその補足)
本文: 自然の仕組みに合っているかも知れないやり方生き方
2012.03.13
むかし血の気の多いのがいて、自分がいなければ困る仕事をしているのに自分の扱いが悪いと言って辞めると言い出した。多分自分が辞めては職場では困るはずだから慰留されると思っていたのだろうが、そのまま辞めることになってしまった。そしてその仕事はと言えば残った人間の中から当てられた人によって問題なく続けられたのである。

あるときあるTV番組を見た、そして関連する本も買ったのだが、それらを見聞きしたとき前述のむかしのことを思い出したのである。まず見聞きして印象に残ったことである。アリは全員が働き者ではなく何にもしないようなのが20%くらいいるということである。その20%を取り除いても残りの中の20%がまた何もしないようなアリになるということである。また人の脳のある働きをする部分を病気か何かで切除してもそこが担っていた機能を他の部分で補うようになるということである。細胞あるいは遺伝子のどれかがなくなっても全体としては失った遺伝子あるいは細胞の機能は残った部分で代替されるようになるということである。

こういう自然の仕組みから見れば、全体としてのバランスを保つ余裕みたいなものが組織に自然に生まれてくるしそれが必要なことではないかという感想を持った。人の評価にもそういうことを考慮に入れないで何もしていないようだと切り捨てると残りの中にまた切り捨て対象が出現してそれを切り捨てるとどんどん働き者と評価される人数が少なくなる。自然は絶滅を防ぐ仕組みも備えているだろうから絶滅までは行かないとしても、細々と生きながらえるようになるまで弱っていくことになる。能力主義の人事評価というのは自然の仕組みから見ればそういう面を持っている。私などはその不安定さが自分の気質に合わず違和感を感じながら過ごしていたものである。

これもまたあるとき見たTV番組でのことだが、社員が時間によりいろいろな職種をこなすことで少人数ながら定時間労働を実現し社員の満足度も上がっている企業を紹介していた。一般には断続的に長時間続く仕事でもなんとか要員という形で確保した人員を単能的に扱うことが多いが、ここでは社員の職種を固定化せず多能的に扱うことで業務の効率化と従業員満足度の向上を狙っているということである。これも足りないところを全体として補うという観点から見れば自然の仕組みに沿っているように思われる。人や動物は生きるために主分担はあっても多能的に働いているのだから、単能的機械のように人を扱うのは自然の仕組みから見れば不自然なことなのかも知れない。

人が集団社会を作れば何もしていないようなアリのような存在の人が出てくるし、誰でもやる機会が来ればそれなりにやれるというのが自然の仕組みで、そういう集団社会の方が人は気持が良いし不測の事態に対応できる柔軟性を持つということではないかという気がする。だとすれば、組織の構成・規模や人の評価基準も多様性に柔軟で寛容で過大な格差を生まない仕組みの方が自然的存在として存続するのではないか。これもまたあるとき読んだある本に、シマウマが草を食べるのに意識を集中してしまうと襲われて食われてしまうのを避けようがない。自然界では意識を集中し過ぎない、分散するのが生き延びるに重要であるというようなことが書いてあった。仕事あるいは事業や生き方もあまり何かに集中し過ぎない方がよいのかも知れない。

補足: 働かないオジサンと働く高齢者増加の問題
2014.02.24
本文に挙げた働かないアリに関連したはなしである。、最近東洋経済で話題にしていた「働かないオジサン」は、働かないことが即ち仕事をしていることであり、仕事をしていることが即ち働かないことであるというような一面がある気がしたものである。また最近ネットで見たのだが15~24歳男性と65~69歳男性の就業率が同じくらいになっており高齢者が若者の職を奪っているように見える状況だそうである。全体としてある割合働かない人間もいるのが自然の仕組みだとすれば、高齢者が働けば若いものが働かなくなる、というか働かない人間の世代の割り振りが変化するだけの当然の帰結という見方もできる。社会として高齢者が働かなくともよい仕組みでないとこういうことになるのかも知れない。なお、この補足もこじつけである。
(以上紹介本文とその補足)


(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
  No.95  働かない20%のアリのような気がする  (2012.03.19) 
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