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妻が町の図書室に県立図書館から取り寄せてもらった「その日のまえに(重松清著・文藝春秋)」という本を借りてきた。主に誰かの死に悔いを残すひとのはなしが七話入っているが、前のはなしがあとのはなしの伏線にもなっている。死には関係ないが妻は一話目の小学生で級友みんなから嫌われていた女の子が病気になってクラスで見舞いの色紙を書いて届けるはなしのその病気になった女の子が自分みたいだと言った。妻は夏休みに入院したことがあって登校日には間に合ったのでそのことを知っているひとは少なかったが、二学期が始まってから男の子ひとりから入院してたんだってと言われたが女の子からは誰一人そういうはなしは出なかったそうである。
妻はこの本を読んで自分ではそれまで何も感じていなかったが、自分にはともだちがいなかった、嫌われていたとまではいかないが、あまり好かれていなかったようだと思い至ったそうである。妻は自分のことしか考えず自分に良いと思うことを言ったりしたりするからと自分では言っている。いまもそうだが群れることは嫌いと公言しているくらいである。小さいころは男の子と走り回っているほうが好きで女の子とは自分をつくろって仲間同士のように遊んだりもしてきたが、ねちねちした付き合いが出来ずそのとき限りでともだちとして長く続くようなことはなかったそうである。そして大人になったいまもともだちは少ない。しかしともだちがいないわけではない。世間付き合いは妻を受け入れてくれていそうなひととはそれなりに交流が出来ているようだし、深い交わりのともだちも何人かいる。
もう一つ妻が自分と同じようだと感じたのは、七話目で病気で亡くなった奥さんが夫に残した手紙が何度も書き直して最後はひとことの「忘れてもいいよ」だったが、その言葉だったそうである。妻は自分も忘れられていいと思っているそうである。私は忘れてもいいよというのは何を忘れてもいいと言っているのか気になると言ったら、妻は自分の全てが忘れられても構わないのだということである。
私がいまよく思い出すのはひとにしたり言ったりして不快な思いをさせたに違いないと悔やまれる自分のしたこととその相手である。だから「忘れてもいいよ」というのは、その奥さんに対し夫が十分でなかったと思っていることは忘れて思い出すときは悔やむことなしに懐かしく思い出してほしいということではないかと思うのだがと私は妻に言った。私は多分妻が先に亡くなったら思い出さないということはないからそういう意味もあると思うと妻に言ったわけである。
そういうことを妻と食事をしながら話していたのだが、結局は過去に縛られず相手にいまを幸せに生きてほしいということを願っての言葉だということに落ち着いた。そして2月ころ読んだ「嫌われる勇気」(岸見一郎/古賀史健・ダイヤモンド社)という本の内容に通じる意味があるねという話になった。その本には幸福に生きるには過去を忘れることすなわち過去に縛られないことも大切であるというようなことも書いてあった。「その日のまえに」の七話目の「忘れてもいいよ」は生き残ったひとに新しい人生を幸せに生きてほしいという亡くなった奥さんの願いが凝縮されているというのが二人の結論だった。
補足: いつ「忘れてもいいよ」と言ってくれるのか
本文の「忘れてもいいよ」という言葉はなにがしかの迷惑や恥ずかしめなどを受けたひとがそれを為した相手に忘れてもいいと言うことに通じるところがある。日本だけの言葉かどうか知らないが相手のその過去を水に流すという言葉の反面のような感じである。また亡くなったひとがいて、その人の死に悔いを残していまを生きているひとには残された言葉(例えば「忘れてもいいよ」)があると新しい人生に力を与えてくれる気がする。そして911とか311とかあるいは靖国とか追悼し祈るひとにはそういう悔いを残し、残された言葉もなく今を生きているひとがいるのだろうなという気がする。ところで、はなし変わって歴史認識などの問題だが、韓国や中国が「忘れてもいいよ」と言ってくれる日は来るのだろうか。互いに滅びることがないとすれば過去に縛られず今を真剣に生きる国同士になることが大切だが、千年を待たないといけないのかと暗い気持ちになる。
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