My logbook : 屋久島方丈記 
Home > backnumber目次 > 記事  
  日誌編  ・ 偏見ご免のたわごと編  
  たわごと編: No.214  
  2014.03.15 研究論文はパクリと少しの新成果からなる  
 
  小保方晴子氏のSTAP細胞論文がパクリと捏造の産物ではないかと、いま世間を騒がしている。私はパクリについては成果に関係ない過去に発表された内容についてだったならば断り書きが必要だったかも知れないというくらいの感じしか持っていない。捏造については成果を導き出す過程・方法・手段・その結果などの事実を偽ってあたかも成果が出たように装ったものということになるが、実際成果があがっていないことが明らかになれば捏造と断定されることになる。

私の感覚では、そもそも人類がここまで文化文明を発達させたのもパクリを続けてきた、すなわち先人の成果を学んでその上に少しづつ進歩の上積みをしてきた結果であり、既知の知見あるいは過去に発表され正しいと評価が定まっているものはそれを前提に新たな段階の研究の基礎としてパクられるために存在していると思うものである。また新たな成果と言われる内容がパクられた成果を含むものであれば、その場合だけは非難されるべきパクリとみなされることになる。

さて、新規成果についてである。新規成果は過去の成果の上に新たな成果を上積み出来るものあるいは過去に何の関連ある成果も存在しない全く新しい成果ということになる。後者は今の時代ほとんど稀ではないかと思われる。そして論文では過去の成果を発展させるにしてもあるいは過程・方法・手段・などを全く新規にしたとしても、過去の成果を踏まえてどう発展させたか、あるいは何がどう違って新しいのか論証することになると思われる。論文ではそういう意味でほとんどはパクリの内容で、新たな成果は意味としては大きいかもしれないが記述としてはほんの少しにしかならないと思われる。そしてそれをふくらませるにもパクリを散りばめたりするわけである。

論文という体裁を整えるために、実際の研究成果はほんのちょっとのものがパクリ(引用とか既知の知見など)が散りばめられて相当ページになるわけである。私はいまの世界的に通用する論文形式に精通しているわけではないので既にそういうことは考えられたもので的外れを言っているかもしれないが、もし致命的なパクリとか捏造を見逃しやすいものならば論文の形式を改めたらどうかという気がしている。新発見・新規成果として主張し証明する内容の部分とその前提となったパクリ情報などの部分を明確に分けた方が良いのではないかと思っている。多分捏造かどうか新規性があるかどうかの審査の対象たる新発見・新規成果部分は少ページで済むかも知れない。そして論文の審査もやりやすくなるわけである。

STAP細胞については、理研が発表した作成手順はTV報道では何枚かの紙だったように見えたし、記者発表とそのときの資料で成果はほとんどは言い尽くされているように見えるわけである。ページが重厚なのではなく、内容が重厚であれば良いというふうに思うわけである。


(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
   No.116  してよいパクリといけないパクリ  (2012.08.06)
. 
 
 
back
「My logbook : 屋久島方丈記」は、「 My logbook : 屋久島生活の断片」の
日誌編 と 偏見ご免のたわごと編 の 継続版です。
My logbook : 屋久島生活の断片」の ご案内
日誌編 と 偏見ご免のたわごと編 (2010.05.31までの記事)
屋久島釣り場案内
妻関連の「SpinCom」と「SpinCom Gallery」