昨年あるTV番組を見ていたら、田舎などに品物が置いてあって料金入れがある店員もいない無人の売り場いわゆる無人市があるが、そういうのが成り立つのは世界中で日本だけだという話題が出ていた。他国では黙って持って行かれてしまうとか料金を盗まれてしまうのがオチだそうである。日本が一番安心できる国ではないかという趣旨での例示だった。私もそうは思っているが、無人市で絶対に品物や料金が盗られないということではない。屋久島には無人市が結構あって大体ひと品百円である。私は移住して来た約20年前にそれを初めて見たのだが、当時料金箱に鍵の付いていないものもあったような気がする。そして残った品物の数に比べ料金が少ないということは当時もあったようである。
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無人市の例:かなりこじんまりな無人市
料金箱には鍵が付いているのが見える |
私は移住前には田舎の人達は純朴で正直だという通念をなんとなく刷り込まれていたから、移住してから無人市で料金盗難が発生して地元のひとのなかにそういうことをするのは外から来た人間に違いないと言うひとがいるというはなしを聞いても違和感はなかった。ただ私はそういうことをする人間ではないと信用されるように振る舞っていかなければと自分を戒めたものである。ところがその後盗難の犯人が地元の者だったことが判明した。その後料金箱に鍵をつけるところが広がったような印象がある。地元の人間、島外からの人間を問わず悪さをするものはするのである。私も地元の人もその出来事でそれを再確認したわけである。
ということで、日本でも無人市からの盗難が発生しないわけではないのである。多分無人市のあるような田舎では住民あたりの発生率は低くかつ住民人口が少ないから発生数は極めて少なくなるし、都会には無人市みたいなものはないからそういう現象が起こらないので日本では無人市で盗難はないという印象になるのだと思われる。他国では無人市は成立しないというが、無人市があったが成り立たなかったということではなく他の状況からそういう印象を持ったということではないかと思われる。多分信頼できるあるいは牽制され生き抜く環境が、地域的範囲というよりは流動的な人的交流範囲が支配的なところではそういう印象になりそうである。
どこの国でも、狭い地域で悪さをしたらそこに住めなくなる、そしてそうなれば生きていくことが難しいというような環境があれば、そこで悪さをするものは極めて少なくなって無人市は成立するのではないかと思われる。日本でも互いに助け合い牽制し合いながら生きて来た田舎あるいは地域では無人市は成立するが、ひとの流動性が大きく限られた交流範囲の人間以外信頼出来ないような例えば都会などでは無人市は成立しないということではなかろうか。
しかし都会などにあっても、ときに悪さをするものがいるものの日本ではオープンな場所で無人市に似た自動販売機が成立している。やはり日本が一番ズルしたりするひとが少ない安心できる国というのは間違いなさそうな気がしてくる。例えば無人の自動販売機やATMでの盗難あるいは海外ニュースでよく見る強盗にやられる店員一人くらいのコンビニみたいな店などでの犯罪発生率について他国との比較結果でも日本が一番少なければ、無人市が成立するのは日本だけというはなしを確信できそうである。
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屋久島生活の断片・日誌編:
No.45 無人市のこと [2001(H13).03.26)]
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