ことしは午年なので、写真はウマをかたどった小物、戯れ歌はウマに関する私の思い出に関するものにした。写真と戯れ歌とはウマというテーマ以外の相通ずるものがない感じのものになってしまった。
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ちをながす にうまのあしに こわごわと
まごにたのまれ かけししょんべん
きずあらうには おさなかりけり
(血を流す 荷馬の脚に こわごわと
馬子に頼まれ 掛けし小便
傷洗うには 幼かりけり) |
まず写真についてのことである。写真の馬の小物は妻が以前スウェーデンに行ったときに買ってきたダーラナホースを模したオーナメントなどである。もとになったダーラナホース(スウェーデンの木の馬)は一点一点違う手作りで有名で、初めは木こりの冬場の余技だったものが子どものおもちゃとなりその後民芸品になったようである。そしてむかしは赤レンガ色が多かったようだがいまはいろいろな色で作られているそうである。
次いで歌についてのことである。私は先の大戦末期父の故郷に疎開して小学4年で上京するまでそこで過ごした。家の前は大きな道でバスも通る道だったが、当時は舗装されていなかった。小学何年かのある日、家の前の道で近所の遊び仲間と遊んでいたときのことである。そばで馬が怪我したから頼みがあると馬子がひとを呼びに来た。私たちも子どもも頼むということで付いて行った。荷馬車の馬が前脚の片方に血を流している。いま思えば道の大きな石かなにかで滑って倒れ脚を怪我したのかも知れない。
馬子が言うには、傷の消毒に小便を掛けるということである。そしてまず自分が薄桃色の歯磨き粉のようなものを傷口にまぶしてからジョーッと勢いよく小便を掛けた。それに続いて何人か小便を掛けた後私の番になったが、馬の頭の下方なので馬子が抑えていても怖くて、恐る恐るチョロチョロと洗うとは程遠い少量の小便を掛けた。記憶に無いのだが多分父も出て来ていて小便を掛けたものと思われる。その日の夜だったか翌日の夜だったか、馬の持ち主でもある馬子が家に包を持ってきた。馬は使いものにならないことが分かって処分したということで、その馬肉を配りに来てくれたのである。私への礼ではないだろうから、多分父が出て来ていてその後の歩けなくなっていた馬の移動も手伝ったのだろうと後で思った訳である。そして肉を貰ったその翌日かと思うがその肉を家族で食べた記憶がある。
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No.141 戯れ歌年賀状 (2013.01.01)
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