My logbook : 屋久島方丈記 
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  たわごと編: No.143ap1  
  2015.01.13 確執あると言いふらされて_子に憎まれる  
 
  近年のあるころ娘がSNSで私と確執があって云々と言いふらしているのが目に付いて何が確執なのかと考えたことがある。思い当たるのはそのむかし、娘が高校時代に進路についての希望を述べるのを聞いたとき私はその自信過剰で我慢しない性格から芽が出るまでかじりついてまで努力をしなそうなので止めた方がよいと言ったことがある。そして案の定周りの意図を顧みず自分を押し通して道は開けず大学を卒業するとすぐ結婚に逃げてしまった。

結婚に際しては、何の相談特に金銭面での話などなく自分達二人と相手の家で決めたことに従うのが当然と勝手に物事を進行させたので、私はただ金を出しかたちだけの親の出席と体裁を整える親戚などの出席について気配りをしただけである。私はそれについてはいまでも屈辱的な思いを持っている。

私は意見を言うが娘のやることを阻止したことはない。だが娘は親が自分に対する意見を持つことと阻止することの区別がつかないようである。親は自分の指図通りに動いて当然の存在と思っているようである。自分がやりたいことをやりたいようにやっても親が自分の思い通りに動かないのは気に食わないようなのである。私はそれぞれ自立した人間として相手に支配されず生きてよいと思っている。親だからあるいは子だから相手の言うことを全て聞かなければいけないなかんずく親は子の言うことは何でも言うとおりに聞くものだという考えは持っていない。それぞれやりたいようにあるいは生きたいようにすればよいと思っている。

だから私には確執ということが分からないわけである。確執とは互いに自らの意見・自説を主張して譲り合わないことから結果として不和の状況になることだというのがその意味するところである。私は娘に自分の意見は述べるがそれを強要したことはない。娘が私の意見通りにしなかったからと言ってそれを阻止したりせず黙って見守って来た。だが娘は自分の意見と異なる意見を親が持つこと自体、つまり自分の支配が及ばないことが許せないことだた思っているのではないか。そして自分で親を憎み独り相撲を取って不和を醸し出しているのではないかという気がするわけである。


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